ダニ媒介性脳炎

高島 郁夫
北海道大学大学院 獣医学研究科環境獣医科学講座公衆衛生学講座

  1. 病原体ならびに疾患
    ダニ媒介性脳炎群のウイルスはフラビウイルス科フラビウイルス属に属する。ダニ媒介性フラビウイルス(ダニ媒介性脳炎群ウイルス)が原因となる疾患とし てロシア春夏脳炎、中央ヨーロッパ型ダニ脳炎、跳躍病、キャサヌール森林熱、オムスク出血熱、ポアサン脳炎等があり、ともに高い致命率で重篤に経過する特徴を有する。

  2. 疫学ならびに生態
    1) 患者発生状況
    世界におけるダニ媒介性脳炎の患者発生数は、患者数の集計が整った1990年以降、毎年6,000人以上であり、1993年と1994年には10,000人前後に増加している。ロシアにおける患者数は全体の50%以上を占めており、さらに1999年には9,955名、2000年には5,931名、2001年には6,399名と依然多発傾向にある。

    2) ウイルスの生態
    ウイルスの感染環は、以下の様である。病原巣動物となる小型野生哺乳類や鳥類から幼ダニと若ダニは吸血によりウイルスを獲得する。ウイルスは経齢間伝達と経卵巣伝達によりダニの間で維持されている。成ダニ、若ダニの吸血を受け、ヒト・家畜および大中野生哺乳類はウイルスに感染し、その一部は発症する。各ウイルスごとにまた地域ごとに媒介マダニと病原巣動物の種類は異なっている。ヒトは流行巣において媒介マダニの刺咬により本病に罹患する。またヤギも感受性を有し、乳腺中で増殖したウイルスが乳汁中に移行する。ヒトが、汚染したヤギ生乳を飲用するとしばしば発病する。

    3) 北海道におけるダニ媒介性脳炎の疫学
    これまでわが国にはダニ媒介性脳炎の存在は知られていなかったが、北海道においてダニ媒介性脳炎の患者が発見され、さらには原因ウイルスが分離されるなどダニ媒介性脳炎ウイルスの流行巣の存在が明らかとなった。北海道渡島支庁管内K 町の一酪農家の主婦が、1993年10月に重篤な脳炎に罹患し、これが血清学的にダニ媒介性脳炎と診断された。この患者さんは現在も運動麻痺が後遺症として残り、車椅子の生活を余儀なくされている。1995年には当地区においてイヌを歩哨動物として疫学調査を実施した。イヌの血液につきウイルス分離を試みたところ、3頭からウイルスが分離された。ウイルスのE蛋白遺伝子の塩基配列をロシア春夏脳炎ウイルス(Sofjin株)と比較の結果、患者発生地区で分離されたダニ媒介性脳炎ウイルスは、ロシア春夏脳炎型と同定された。またその後の調査から本ウイルスはヤマトマダニ(写真)とノネズミから分離され、ウイルスの感染環が明らかになった。流行地は道南の4支庁に広範に分布していることが判明した。

    4)オーストリアにおける日本人男性の感染・死亡例
    61歳の日本人男性がオーストリアに住む娘さんを訪ねたが、2001年6月2日に田舎においてダニに刺された。その後6月19日には髄膜炎を生じてオーストリアで入院となっている。病状は急速に髄膜脳炎ヘと進展し、6月22日にはダニ媒介性脳炎の診断が付いたが、四肢麻痺、意識障害(会話不可能)を生じ、器械的人工呼吸が必要となり、9月6日には右大脳半球の出血にて死亡した。

  3. 臨床症状と病原性
    ロシア春夏脳炎のヒトにおける症状は、頭痛、発熱、悪心および嘔吐に始まり、発症極期には精神錯乱、昏睡、痙攣および麻痺などの脳炎症状の出現することもある。致死率は30%で、回復しても多くの例で麻痺が残る。
    中央ヨーロッパ型ダニ媒介性脳炎の病型はロシア春夏脳炎のそれに非常に似ているが2峰性の熱型を特徴とし、症状が比較的軽く、致死率も1-2%と低い。

  4. 診断
    ダニ媒介性脳炎の実験室内診断には、酵素抗体法、赤血球凝集抑制反応、補体結合反応、中和反応を用いてウィルス特異的抗体を検出する。特に急性期に特異的なIgM抗体の検出されること、または回復期血清の抗体価が3〜4倍に増加することが血清診断の決め手になる。剖検例において脳からのウイルス抗原の検出とウイルス分離は確定診断となる。

  5. 予防・治療
    ダニの咬着を受けダニ媒介性脳炎を疑う場合には、ダニ媒介性脳炎特異的人免疫グロブリンによって患者を治療ことがある。本免疫グロブリンの投与により病状が軽減すると言われているが投与時期が遅れると効果が期待できない。
    感染マダニやウイルス保有動物との接触を避けることが重要である。ヤギの乳を充分に加熱殺菌してから飲むことが中央ヨーロッパ型ダニ媒介性脳炎の腸管感染の予防において重要である。
    中央ヨーロッパ型ダニ媒介性脳炎ではワクチンが開発されオーストリアのIMMUNO AG 社から市販されている。接種スケジュールとしては、1ヶ月間隔で2回接種し、1年後に3回目の追加接種を行う。本ワクチンは中央ヨーロッパダニ媒介性脳炎に99.0%以上の防御効果を示すことが野外試験で示されており、またロシア春夏脳炎にも有効と報告されている。我々は本ワクチンのダニ媒介性脳炎ウイルス北海道株に対する効果をマウスモデルにおける感染実験とヒトにおける中和抗体産生能をもとに評価したところ、マウスの感染死を防止するとともに良好な中和抗体の産生がみられ北海道株に有効なことが示された。

  6. 終わりに
    オーストリアのダニ媒介性脳炎ワクチンは日本では許可されていず、接種のためにはIMMNUNO AG 社から直接輸入しなければならないが、その手続きは非常に繁雑である。わが国でも北海道にダニ脳炎ウイルスが定着していることが判明し、上述のようにオーストリアでは日本人の死者が出た。またロシアの流行地に赴く日本人が増加し毎年7,000人を越えている。ヨーロッパの流行地にも毎年多数訪問している。このような状況下で国内の流行地区の住民と国外の流行地に旅行する日本人を対象としたダニ脳炎予防のためのワクチンの実用化が緊急の課題となっている。


写真説明
ヤマトマダニ(Ixodes ovatus)
左;雄、 右;雌 目盛りは 1mm