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連続講座

霊長類フォーラム:人獣共通感染症(第166回)08/21/2005

新刊書「Lab 257:政府の秘密生物兵器実験室の気がかりな物語」

 国内に存在しない危険な家畜伝染病の研究は厳重な隔離のもとに行われています。その代表的なものとして英国ではロンドン郊外にある家畜衛生研究所パーブライト支所、米国ではニューヨーク・ロングアイランドの沖にある農務省プラムアイランド研究所、日本では動物衛生研究所に同様の高度隔離施設があります。
 パーブライト支所は英国での口蹄疫対策の中心になっているところで、私は1990年代に10年間ほど共同研究を行っていたので、その実態はよく知っています。プラムアイランドも米国の口蹄疫などの対策の中心です。日本の研究者も何人かここで研究をされていましたが、私は訪問したことはありませんでした。
 プラムアイランドは、350年前は先住民の漁港でした。ここに1951年に生物兵器の研究施設が設立され、1954年からは家畜の海外伝染病対策の拠点になっていました。2001年9月の同時多発テロ以後、生物兵器研究の任務に復帰しましたが、2003年6月には新たに設立された国土安全省の管轄になりました。
 昨年、プラムアイランドの研究所をとりあげた「Lab 257:政府の秘密生物兵器実験室の気がかりな物語」(LAB 257: The Disturbing Story of the Government’s Secret Plum Island Germ Laboratory by Michael Christopher Carroll, Harper Collins Publishers Inc.)という本が出版されました。著者はマイケル・キャロルという(31歳)ニューヨーク・ロングアイランドの住人で、金融会社のコンサルタント弁護士です。プラムアイランドの実態に興味を抱き7年間の調査結果にもとづいて書いた本です。
 本書は2004年2月16日付けのニューズデイ紙で商会紹介され、米国のベストセラー作家であるネルソン・デミル(本講座第60回でとりあげた本「プラムアイランド」の著者。文春文庫に訳書があります)はホットゾーンに匹敵するものと賞賛しています。元ニューヨーク州知事、マリオ・クオモは、プラムアイランドの科学的事実はサイエンス・フィクション以上に奇妙なものであると述べています。ヒラリー・クリントンはプラムアイランドのセキュリティの批判を続けており、まだ、この本を読んではいないが、本書が私の提示した問題を明らかにしてくれることを期待するとのコメントを出しています。
 どこまでが真実かは分かりませんが、非常に興味がある内容でしたので、昨年、ある出版社に翻訳を勧めたのですが取り上げられませんでした。そこで、要点をご紹介します。

 
第1部 アウトブレーク
 第2次世界大戦末期、米国とソ連は「禁断の果実」であるナチスの科学者などドイツ科学者を戦後の目的のために招致しました。その一人であるウイルス研究者がプラムアイランドの設立の中心人物になりました。この科学者は私がカリフォルニア大学に留学していた際の教授の先生で名前はよく知っていましたが、米国に来たいきさつは今回初めて知りました。1957年、アイゼンハワー大統領はプラムアイランドでの食用動物に対する生物兵器対策活動を停止しましたが、生物兵器としての動物病原体の研究、野外実験は継続していました。
 本章では、以下の病気とプラムアイランドの関わりあいが取り上げられています。

(1)ライム病
 1975年、プラムアイランド対岸のオールド・ライムの町で重い関節炎の患者が見つかりました。そして町の名前をとってライム病と命名されました。これはボレリアという細菌による感染症で、主に鹿のダニより媒介されます。現在、全米に広がっており、代表的エマージング感染症とみなされています。これまでに15万人の患者が確認されており、米国東部のダニの3分の2はこの細菌を保有していると言われています。
 著者がライム病の発生地域をプロットしていくと、プラムアイランドに線が行き着きました。そこで、著者はこの島で行っていた実験で感染した鹿が泳いで対岸に来て、発生を起こしたと推測しています。

(2)ウエストナイル熱
 1999年にニューヨークで発生したウエストナイル熱は最初半径5マイルの範囲内で、プラムアイランドから20マイル以下の場に限られていました。最大の被害を受けたのは馬です。著者は馬での発生状況を調べていった結果、グラウンド・ゼロ、すなわち初発地点はプラムアイランドの対岸の岬に行き着きました。
 プラムアイランドでウエストナイル・ウイルスの実験を行っていた証拠はありませんが、著者は保有していた可能性があると推察しています。

(3)アヒルペスト
  1967年にロングアイランドのアヒル農場でアヒルペストが突然発生しました。これはオランダ、ベルギー、インド、中国などに常在するウイルスにより起こる病気で、米国には存在していませんでした。ちょうどこの頃、偶然、プラムアイランドではこの病気のワクチンを開発していました。
 野生のカモでもこのウイルス感染が見つかり、現在、メキシコからカナダにまで広がり続けています。

 これら3つの感染症はいずれも、安全性や保安体制に欠陥をもちながら高度の危険性のある病原体を研究していた施設の近くで発生したことを著者は重要視しているのです。


第2部 世界でもっとも安全な実験室
 1951年、陸軍統合参謀本部は動物病原体兵器による敵の食料供給破壊戦略を決定し、陸軍生物兵器研究所フォートデトリックの科学者を招いて、プラムアイランドにビルディング257(Lab 257)の建設を始めました。しかし1954年、竣工の直前、アイゼンハワー大統領はフォート・テリー(プラムアイランド)を国防省から農務省に移管し、口蹄疫と牛疫の防御に限定することとしました。いずれも畜産に最大の被害を及ぼす家畜伝染病です。
 そののち、プラムアイランドではこれらを中心に、ほかにも、危険性のある家畜伝染病の研究が行われてきました。著者は、安全性確保が不十分な状態で、いくつかの病原体流出事故の起きた可能性を指摘しています。その一例をご紹介します。
 1971年、キューバの養豚場でアフリカブタコレラが発生し、73万頭が殺処分されました。米国とキューバが敵対関係にあった時期です。この発生はCIAに引き起こされたことが疑われました。米国でこのウイルスの使用が許可されていたのはプラムアイランドのみでした。ニューズデイ紙はこの経緯を追究した結果、フォートデトリックが1950年代に生物兵器の野外実験を行っていたことを最近明らかにしました。プラムアイランドとフォートデトリックとの関連が見いだされたことから、ニューズデイ紙は「プラムアイランドは人類のためのものか、敵対するためのものか?」という記事を掲載したのです。
 口蹄疫に感染したウシが隔離実験室外で見いだされたこともありました。こうして、世界でもっとも安全な実験室というメッセージは失われていったのでした。ニューズデイ紙はそのほかにもいくつかの実験室事故、危険な実験の実態を明らかにしました。


第3部 衰退
 1980年代、農務省長官の諮問委員会は全米肉牛協会、養豚協会、養鶏協会など畜産団体の代表者から構成されていました。ワシントン以外で会合を持ったことのない彼らが、プラムアイランド所長の要請を受けて現地で会議を開いたことがあります。そしてプラムアイランドの施設は、企業の利益になると判断されて改修予算が約束されたのです。しかし、現実には焼け石に水で、プラムアイランドは老朽化していき、研究者にとっても魅力のない組織になっていきました。
 プラムアイランドでは病原体が外部にもれないようにするため、島から物品を持ち出すことは禁止されています。その結果、プラムアイランドには廃棄物が蓄積し、環境汚染の場所になってしまいました。内部告発もあり、職業安全健康局からは高度危険状態と判断さ、マスコミもこの問題を大きく取り上げました。
 これに関連したエピソードが紹介されています。ハリケーンの際に、Lab 257の廃水タンクから流出した汚水に含まれていた未知のウイルスに従業員が感染したのではないかという内容です。ハリケーンが襲った時、非常電源が働かず、汚水があふれて流出したのです。交代者が来なかったため32時間ハリケーンと戦った従業員は、その後、インフルエンザ様の症状で発病しました。採用時に採っていた血液サンプルを検査のために要求しました。採用時の血清と発病後の血清についてウイルス抗体の検査を行い、発病後のみ抗体が見つかれば、そのウイルスに感染した証拠になります。しかし、政府は最初この要求を拒否しましたが、ニューズデイ紙で報道されて、初めて血液サンプルが渡されました。しかし、大学病院では結局原因ウイルスは分かりませんでした。大学病院には外来性の動物ウイルスの検査ができる体制はできていなかったのです。


第4部 将来
 2001年の炭疽菌テロ事件の際、農務省はプラムアイランドが炭疽菌を保有していたことはまったくないと繰り返し述べていました。しかし、FBIは疑いをかけた科学者に対して、「プラムアイランドに居たことがあるか、そこで働く人を知っているか、彼らはそこで何をしているか」といった質問を行っていました。著者はプラムアイランドが炭疽菌を保有していたことを示唆する事実を紹介しています。
 1999年、ウエストナイル熱が米国で初めて発生した直後、農務省はひそかにプラムアイランドの施設をレベル3からレベル4に格上げする計画を進めていました。これはニューヨークタイムズ紙が明らかにしたものです。
 ウエストナイル熱、炭疽菌事件など動物由来病原体に人が感染する事態に対して、農務省は厳重な秘密の壁を設けていました。農務省は自らの施設の保安体制が不十分なのにもかかわらず、政府の秘密事項と国家保安を理由に公衆に対する説明責任を果たしていないと著者は指摘しています。
 2003年6月ブッシュ大統領は、プラムアイランドを農務省から新たに設置された国土安全省に移管しました。
 多くの問題点を指摘した第4部は最後に、プラムアイランドの真の物語はもっとも気がかりな結論、すなわち、世界でもっとも安全と言われたこの実験室は、現在では世界でもっとも危険な実験室という結論をもたらした。このような施設が合衆国にとって、そして国家安全のために重要なのだろうか。過去の事故、現在の安全対策レベル、将来計画は、プラムアイランドの存在を正当化できるのだろうかと疑問を投げかけています。プラムアイランドはすでにスイッチが入れられた生物学的時限爆弾になっていると。しかし、まだこのスイッチを切る時間は残されているとしめくくっています。