人獣共通感染症 第58回
巻頭言:1。ウイルス発見100年記念を目前に
   2。「エマージングウイルスの世紀」


霊長類フォーラム:人獣共通感染症(第58回)12/20/97

 1997年も後わずかで終わろうとしています。来年はウイルス発見100年記念の年にあたります。このことについて最近、日生研たよりの巻頭言に書いたものを転載します。また、今度、「エマージングウイルスの世紀」という本を出版しましたので、これもご紹介させていただきます。

1。巻頭言:ウイルス発見100年記念を目前に
 最初のワクチンである種痘は1796年、ジェンナーにより初めて行われ、昨年はその開発200年というウイルス学にとって記念すべき年となった。それに続いて1885年、パスツールは狂犬病ワクチンを開発した。種痘ワクチン、狂犬病ワクチンいずれも人類の福祉に大いに貢献したことはいうまでもない。しかし、実際にウイルスの概念が微生物学の領域に登場したのは、これらのワクチン開発よりも後である。 最初のウイルスの発見は口蹄疫である。現在と同様、畜産における大問題であった口蹄疫の研究を、ドイツ政府の命令で開始したコッホ研究所のレフラーとフロッシュは、口蹄疫にかかった牛の口と乳房の水疱を子牛へ接種する実験を行い、細菌フィルターを濾過したのちも、健康な牛に病気が起こせることを見いだし、濾過性病原体によることを実証したのである。しかも彼らは天然痘、牛疫、麻疹なども同様の濾過性病原体であるという推論まで行った。このように明白な成果が得られたのは、実際に牛に感染実験を行うことができ、しかも非常に特徴的な水疱性の病変を作る病気であったためである。
 同じ年にオランダのバイアリンクはタバコモザイク病にかかったタバコの葉をしぼった液が、細菌フィルターを通過させても健康なタバコに病気を起こすことをみいだした。これも、口蹄疫と同様に実験的に特徴的な病気の再現が可能であったためである。 このようにしてウイルスの存在は家畜と植物で初めて明らかにされた。実験が困難な人のウイルスが見いだされたのは、20世紀に入ってからである。 来年は動物ウイルスと植物ウイルス発見100年にあたり、ドイツのフリードリッヒ・レフラー研究所では100年記念シンポジウムを6月に予定している。その準備 副委員長Helmut Wege教授は私を含め日本に多くの友人を持っており、日本の研究者の参加を大いに希望している。植物ウイルスについてもオランダで同様の企画が予定されている。
 ところで、細菌は顕微鏡で実体そのものが発見されてきたのだが、ウイルスの実体が見えるようになったのは電子顕微鏡の開発まで待たなければならなかった。ウイルスの存在は、動物または細胞での病原性が指標となって認識されてきた。ウイルスの実体ではなく、病原性という生物活性がウイルス研究の基盤となっていたのである。ウイルスの物質的側面についての研究が進み始めたのは1970年代半ばの遺伝子工学の誕生からである。
 それとともに、物質としてのウイルス研究が先端的と受けとめられる傾向が生まれ、ウイルスの病原性の研究はおろそかとなった。しかし、エマージングウイルスの出現がきっかけとなって、ふたたび感染症の原因としてのウイルスへの関心が高まってきた。100年前と異なり現在はウイルスの遺伝子や蛋白の構造など、物質としてのウイルスの実体を理解した上で、その病原性の解明を行うことが可能となっている。とくに自然宿主での実験が可能な獣医ウイルス学にとっては、大きな進展が期待できよう。

 なお、本文中のウイルス発見100年記念シンポジウムの日程は下記のとおりです。「One Hundred Years of Virology: Past, Present, and Future of Virus Research」June 25-27, 1998
Bundesforshungsanstalt fur Viruskrankheiten der Tiere Friedrich Loeffler Ins titute Insel Riems
 スピーカーにはBrian Mahy, Stanley Prusinerを含め計20名のトップクラスの人が名前を連ねています。
 関心のある方はProf. Dr. Werner Seidel, Ernst-Moritz-Arndt-Universitat Grei fswald Institut fur Medizinische Mikrobiologie, Martin-Luther-Strasse 6, D-1 7487 Grefswald, Germanyに手紙で資料を請求して下さい。

2。エマージングウイルスの世紀
 昨年春から取り組んでいた一般向けの本です。この連載講座の内容を大幅に取り入れています。目次のみを以下にご紹介します。 私の研究人生と人獣共通感染症の現状や問題点をからめたものです。お読みになってご感想やご意見がいただければ大変幸いです。 なお、1カ所史実と異なる記載のあることが校了の後で気がつきました。296頁に生物兵器の歴史として、1763年、南北戦争の時代に北軍総司令官がに天然痘患者に用いた毛布を用いた旨を書きましたが、これは7年戦争の時代にイギリス軍総司令官のあやまりです。増刷の時まで修正できませんので、ここで訂正させていただきます。


「エマージングウイルスの世紀 ー人獣共通感染症の恐怖を越えて」
河出書房新社 (本文315頁)


序章 ウイルスはどのように見出されてきたのか
1。ウイルスと出会う:私にとってのパートナー
2。ウイルスの発見:初期ウイルス学の歩みをたどる
3。ウイルスは生物か無生物か:割り切れない不思議な存在
4。ウイルスの感染と発病:なぜ、どのように病気が起きるのか
5。体内でのウイルスの動態:一様ではない免疫反応
6。ウイルス感染症の研究:ウイルスの存在をどう確かめるか
7。ウイルスの生き残り戦略:不器用なウイルス、巧妙なウイルス

第1章 人獣共通感染症:種の壁を越えるウイルスたち
1。人獣共通感染症とエマージング感染症
2。マールブルグ病
3。ラッサ熱
4。エボラ出血熱
5。Bウイルス病
6。ハンタウイルス病
7。狂犬病
8。ウマモービリウイルス病
9。エマージング感染症の背景と危機管理
10。異種移植

第2章 ウイルス研究の現場で:麻疹ウイルスからスローウイルス感染、そしてプリオン病へ
1。モービリウイルスとの出会い:麻疹ワクチンの検定から麻疹ウイルス研究へ
2。ウイルス研究の実験系:サルの麻疹モデル研究への取り組み
3。麻疹ウイルスによる神経難病:亜急性硬化性全脳炎(SSPE)の謎
4。スローウイルス感染:羊も牛も人も
5。プリオン病:ウイルス学のホットな動き
6。人間が作り出した牛海綿状脳症(BSE):近代的リサイクルシステムの功罪
7。狂牛病パニック:調査で訪ねた渦中の英国研究者たち
8。危機管理の面から見た英国の科学研究:注目すべきBSE対策
9。新型CJDは牛からの感染か:英国での研究最前線
10。狂牛病の牛は狂ってはいない:日本での用語に見る非科学性

第3章 ワクチンーウイルスとどう戦ってきたか
1。ワクチンによるウイルスの制圧:成功した戦略と未解決の課題
2。発展途上国向けのワクチン:麻疹制圧上の問題点
3。生ワクチンと不活化ワクチン:ワクチン開発の初期をたどる
4。ワクチンの幕開け:種痘ワクチンの誕生から幕末日本の種痘事情まで
5。種痘ワクチンの製造:完全手作業の重労働
6。狂犬病ワクチン:種痘と並ぶ古典的ワクチンの背景
7。狂犬病ワクチンの改良と発展:ウサギから山羊へ、そして培養細胞へ
8。野生動物用の狂犬病ワクチン:狐の住む森の上空からヘリで空中散布
9。組換え牛疫ワクチン:その1 日本チームのワクチンをヒマラヤ山麓で試験
10。組換え牛疫ワクチン:その2 国際共同研究の進展と行政機構の壁
11。ワクチンの有効性と安全性:品質管理の原則からウイルスフリーの卵まで

第4章 高度危険ウイルスの研究環境:バイオハザード対策
1。バイオハザード対策の発展史:戦争と宇宙開発から生まれたテクノロジー
2。高度隔離施設の調査見聞記:その1
3。高度隔離施設の調査見聞記:その2
4。CDCのレベル4実験室:世界の眼が注視する空間
5。日本でのバイオハザード対策:問われる安全管理の現状


Kazuya Yamanouchi (山内一也)


連続講座:人獣共通感染症