牛海綿状脳症(BSE)の現状と問題点


国際獣疫事務局(OIE) 小澤義博*

*国際獣疫事務局(OIE)アジア太平洋地域事務所 顧問
(〒107-0062東京都港区南青山1-1-1新青山ビル東館311号)


1.牛海綿状脳症の歴史的背景

牛海綿状脳症(Bovine spongiform encephalopathy)は,通常海外ではBSEと 呼ばれている牛の致死的な神経病で,その症状から狂牛病として新聞等で報じられ一般に知られている.以下本病をBSEと呼ぶことにする.BSEの一般知識については筆者の文献を参照されたい(1).

BSEは英国本土で1985年4月からその散発的発生が見られるようになり,1986年に英国政府により新しい病気として正式に認められた.その数は年々急増し,1993年初めにはそのピークに達し,それ以後年々減少してきている.2000年12月末までの英国でのBSE発生数は18万頭余りに達している.

国際獣疫事務局(OIE)の本部(パリ)では本病を1988年に正式に取り上げ,当時OIE本部に着任したばかりの筆者が本病を担当することになった.その後二度の専門家会議を開き,1990年以来OIEのリストBの病気として各国にその発生の報告を義務づけることにした.本病は主に経口感染により発生し,接触感染は起こさない.本病は細菌やウイルスよりさらに小さいプリオン(prion)と呼ばれる蛋白粒子によって起こされる牛の伝染性疾患であることが認められ,1988年7月にはBSEの感染源と思われた反芻動物由来の蛋白飼料の牛への投与が英国政府により禁止された.しかし本病の牛での潜伏期間は2年半から8年以上と長いのでその後4年間BSEの発生数は毎年増え続ける結果となった.

本病が1985年に突然牛に発生した理由には英国での動物の肉骨粉を製造する際の処理方法が1979年頃から変化したことが関係していると考えられている.英国の化成工場では動物蛋白源として羊や牛を含む反芻獣の死体を使っていた.1970年代末まではその製造過程で炭化水素溶媒を使って脱脂を行ない,その溶媒を高熱の蒸気で除去してからさらに100〜140℃で約30分間の熱処理を行なっていた.1980年頃から経費削減と工場の安全対策のために溶媒処理過程を省き,加熱処理だけで作られた肉骨粉が蛋白飼料として英国で市販されるようになった.プリオンは乾熱に極めて強いためこの蛋白飼料の中には羊のスクレイピーや牛のBSEのプリオンが不活化されずに含まれるようになったものと考えられている.実はこれが英国のBSEの悲劇の始まりであったが,BSEの診断法がなかったため数年の潜伏期間中に英国本土だけでなくその他の国々にまで広がってしまった.英国本土でのBSEの起源については2〜3の説があるが,真実は未だに定かでない.

  

2.症状
BSEは潜行して進み,長い時間を経て必ず死に至る牛の神経性疾病である.急性な症状を示し,急激に悪化する症例はめったに見られない.約2歳齢の牛が希に発病することもあるが,大多数は4〜5歳齢の成牛に発症する(30ヶ月齢以下での発症は少ない).それが逆にBSEの潜伏期間が2〜8年と考えられる理由でもある.

牛の品種による感受性の明らかな差は認められないがBSEの発生数は肉牛より乳牛に多く見られた.英国での発生の割合は59.3%が乳牛で15.3%が肉牛であった.この理由は乳牛により多くの肉骨粉が配合飼料として使用されていたためと考えられる.またBSEの発生する時期は季節や繁殖期とは関係ない.
 
BSEに共通した一般的な臨床症状としては体力の減退,体重の減少,搾乳量の減少,病状の進行に伴う神経的な諸症状などである.神経症状には差があるが一般に不安気味で感覚の過敏症がしばしば見られる.例えば感染した牛は搾乳舎に入るのを拒んだり,搾乳中に後肢で強く蹴ったりすることがある.また乳牛では後肢の不均衡や弱体化が最初の臨床症状として見られることが多い.神経的症状は臨床経過を通じて終始観察されるが精神状態や行動の変化,姿勢や運動の異常,感覚の異常なども見られることがある.しかし最もよく見られる神経症状は恐怖症,後肢歩行失調症および接触や音に対する過敏症,震え等である.初期の軽い症状は輸送等のストレスにより急激に悪化することもある.
 
感染牛は時として頭を下げ,首を伸ばし,耳を後方に向け,歩行の異常として後肢の揺れや引きずりが見られるが,これらの症状は牛が牧草地に出されている時によく認められる.前肢の歩行失調も見られることがあり,運動失調の悪化や全身的な衰弱を起こして倒れたり,横転したりする場合がある.これらの症状はここ10年間変化がなく英国以外の国で発症したBSEも基本的に同じ症状を示している.発症後死亡するまでの経過日数は2〜3週間から1年間とまちまちである.

3.病原体とその性質

BSEの病原体はプリオン(prion)と呼ばれる異常な蛋白粒子で,通常のウイルス粒子よりはるかに小さく伝染性を有する非定型なウイルスとも呼ばれている.しかしこの糖蛋白より成る粒子は感染性のある核酸を有してないと考えられる.従ってこの粒子は通常のウイルスの定義には当てはまらない.正常なプリオン蛋白(PrP)は脳等の神経細胞の膜に多く含まれているが病原性を有する異常なプリオンが入ると神経細胞の正常なプリオンに接触して次々に変性してしまう性質を有している.異常プリオン蛋白は神経細胞の細胞質に蓄積し、空胞を形成する.この病原性を有するプリオンは正常なプリオンとアミノ酸の配列が違うというのでなく単に蛋白分子の折りたたみ方が変形したものと言われている.
 
BSEの発病のメカニズムはプリオンによる他の病気同様にいろいろな説がある.一般的に病原性を有するプリオンはプロティナーゼKに耐性を有する糖蛋白より成り,神経細胞の表面にある正常な糖蛋白(PrP)を次々に変性して細胞を殺してしまい大きな空胞を形成する.また脳組織内にプリオン感染に特有なSAF(Scrapie associated fibril)と呼ばれるフィラメントを無数に形成する.
 
このような病原性を有するプリオンによって起こされる海綿状脳症としては人のクロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)やクールー病(Kuru),羊のスクレイピー,伝染性ミンク脳症,慢性ウェイスティング病等が知られている.これらの病気に共通した特徴は長い潜伏期間を有することと,いずれも脳の組織に海綿状の病変を形成することである.またこれらの病気に感染した人や動物では病原性プリオンに対する抗体の上昇は見られない.従って血清反応による診断方法はない.
 
日本では羊のスクレイピーのプリオンが牛に感染したものがBSEであると一時報道されたため,スクレイピーとBSEは同じ病原体によるものと勘違いしている人もあるかもしれないが,この2つの病気はいずれもプリオンによって起こるものではあるが,2つのプリオンは似て非なるものと考えるべきであろう.
 
BSEのプリオンは物理化学的処理に対して極めて強い耐性を有しており,細菌や一般のウイルスを不活化する温度や煮沸では殆ど不活化されない.特に乾熱に対しては強く130℃で30分間加熱しても不活化されないと言われている.OIEの基準では組織の大きさを5cm以下に細分したものを133℃以上,3気圧で20分以上の高圧滅菌が必要であるとされている(2).従って解剖や手術に使った器具も煮沸するだけでは危険で十分に時間をかけて高圧滅菌する必要がある.また,BSEを扱う実験室はP-3レベルの隔離施設が必要とされている(3).
 
一般にプリオン病原体はイオンや紫外線の感作に対しても強い耐性を有している.薬品に対する耐性はまちまちで,ホルマリンでは不活化されず逆に病原性も固定されてオートクレーブで高圧滅菌しても不活化されなくなる.プリオンの不活化に有効な薬剤としては次亜塩素酸ナトリウム(塩素濃度2%以上の溶液で1時間以上),水酸化ナトリウム(1〜2モルで20℃で少なくとも1時間),蟻酸(80%
溶液で2時間),その他有機溶媒による抽出処理等があるが一般的には次亜塩素酸ナトリウムが最も多く使われている.死体の処理は完全焼却が最も確実な方法である.
 
またBSEの病原体は,ここ数年間に発症した牛の脳組織内の海綿状の空胞の出方の度合や分布状態およびその他の病変の出方の度合などから見ると,羊のスクレイピーなどと比較しても極めて安定していることからBSEは単一のプリオン株によるものと考えられている.
 
BSEの実験動物としては特定のマウスやトランスジェニックマウス等が使われているが潜伏期間が長いので実験には長時間を要する.組織培養による研究も時間を要することや一般のウイルスのような病原体の大量放出や細胞病変が見られないのであまり進んでいない.

4.感染動物
 
BSEに感染した牛の脳・脊髄組織の乳剤を直接牛,羊,山羊,豚,マウス,ミンク,キヌザル等に接種すると感染を起こす.また感染した牛からの材料を羊,山羊,マウス,ミンク等に経口的に与えて感染を起こすことがわかっている.豚や鶏は経口的に与えても感染を起こさない(表1).また,ハムスターには直接感染しないがマウスに継代するとハムスターにも感染するようになる.感染動物からのBSEプリオンの分離や力価の測定には普通マウスが使用されている.約3週齢のマウスの脳内および腹腔内に同時に接種する.マウスの系統にもよるがBSEの初代の分離には短いもので約300日,長いもので約550日かかる.しかしマウスに継代することにより潜伏期間はかなり短縮される.また,英国の猫にも海綿状脳症の自然発生例が1990年以来多数報告されている.
 
また英国の動物園でも多くのウシ科の動物に海綿状脳症の発生が見られ,それらとBSEに汚染した飼料との関係が疑われている.発症した動物にはニアーラ(Nyala),カモシカ(Gemsbok),アラビアカモシカ(Arabian oryx),シマカモシカ(Great kudu),大カモシカ(Eland)が報告されている.シマカモシカの場合はBSE感染を起こした親から生まれた子供も感染を起こしたとの報告もある.これらの野生動物はいずれも動物園でBSEに汚染された飼料が与えられていた.またこれらの動物での潜伏期間は牛よりもかなり短いものが多かった.その他チータ,ダチョウやトラにも海綿状脳症が発生したという報告がある.

  


5.人に対する感染性
 
人のクロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)は菜食主義者にも発生することや,英国でのCJD発生率は他の欧州諸国のCJD発生率と変わらぬことから,1995年まではBSEは人には感染しないと言われてきた.一方,羊のスクレイピーは約250年前からその存在が知られてきたが,スクレイピーに感染した羊の肉や脳などの臓器を食べても人に病気を起こしたという報告はない.従って羊のスクレイピーは人には感染しないと一般的に考えられている.
 
英国政府は,BSEが発生して以来1995年まで・BSEは恐らく羊のスクレイピーが種間バリアーを越えて牛に感染するようになったものと考えられるから,スクレイピー同様BSEも人間には感染しないであろうと主張してきた.しかし,スクレイピーと異なり,BSEは人に感染することが次第に明らかになってきた.
 1996年に新型の人のCJDがBSEのプリオンによって起こされたのではないかと疑われるようになった理由としては次の5点が挙げられる(4).
 1) 1994〜1996年頃の人でのCJDの発症は英国のみで,その中の8人はすでに死亡している.
 2) 通常のCJDでは平均年齢は65歳であるが,これらの患者の年齢は16歳ないし39歳と通常のCJD患者の年齢と比較して異常に若い.(10人中3人は10代後半,5人が20代,2人が30代であった.)
 3) 人の症状は行動や性格の異常,運動障害,知覚異常,記憶喪失,異常な機能低下,脚痛等の症状を示したが経過は典型的なCJDの症状と異なっていた.
 4) CJDに特異的に見られる脳波の型が見られなかった.またこれら10人の発症後の生存期間は平均13ヶ月である(通常のCJDは6ヶ月).
 5) 患者はいずれも脳に海綿状の症変が見られた.また死亡した人の解剖ではプリオン蛋白の大きなプラックの形成が見られた.(通常のCJD患者の脳と異なる病変)
WHOの最近の報告によると1996年から2000年末までの世界で見つかった新しいCJDの変異株による患者(vCJD)の数は英国で87人,フランスで3人,アイルランドで1人(合計91人)であった.英国の屠場関係者にBSEに患った人のいないことや,1980年代中頃までに牛の脳組織の入ったハンバーガーを食べた人の数を考えると,BSEのプリオンを食しても発症する率は極めて低いものと考えられている.



6.牛におけるBSEの発生状況と対策
 
英国全土におけるBSEの発生数は2000年12月末で180,501頭に達している(表2).1986年から2000年末までの発生数の推移は図1に示されている.1995年頃までの英国本土でのBSEの発生件数は南部イングランドに特に多い.この原因の一つは南部の化成工場での肉骨粉の処理方法が簡略化されたためと考えられる.また北部アイルランドでのBSE発生はスコットランドと比較してもかなり低い.英国におけるBSE発生のピークは1992年末から1993年初め頃でそれ以後毎年急速に減少している.もしこのまま減少し続けると2010年末までに英国のBSEは完全に消滅すると言われている.しかしEU諸国の消費者の不安が高く牛肉の価格低下が広がっているので,英国で感染の可能性のある牛(30ヶ月齢以上)の殺処分を出来るだけ早く行ないBSEの清浄化を計るようEU諸国により強く要求されてきている.
 
一方,英国の牛を輸入したカナダやデンマーク,フォークランド諸島,ドイツ,アイルランド,オマーン,イタリア,フランス,ポルトガル等でも輸入した牛にBSEの発生が見られた.表3に示すように自国の牛にBSEの発生した国にが,これらの国でBSEが発生した原因は反芻獣を使って製造された英国製の肉骨はアイルランド共和国,スイス,ポルトガル,ベルギー,フランス,ドイツがある粉が1988年に英国で禁止される前もしくはその後に輸入された肉骨粉を牛に与えたためと思われる.スイスでのBSEの発生は今日でも続いているが,これは英国で製造されたBSEに汚染された肉骨粉がドイツやフランスを経由してスイスで販売されたためと考えられる.EUの肉骨粉に関する規制が厳しくなる度にEU諸国からEUに属していないスイスに肉骨粉が流れ込んでいたらしい.スイスでは1999年に第2のピークが認められた.スイスにおけるBSEに関しては,別誌 (5)を参照されたい.
 
英国政府は反芻獣から製造された肉骨粉を反芻獣に与えることを1988年禁止したが,英国の肉骨粉は1990年9月まで豚や鶏用として市場に出回っており,1996年に全面的禁止令が出るまでこれを牛の飼料として使っていた農家もあったようである.またその肉骨粉の一部は直接,間接にフランス,ドイツ,ポルトガル,ベルギー,オランダ等にも輸出されていた可能性が高い.
 
1996年3月から英国では肉骨粉を食糧生産のためのいかなる動物にも使用を禁止することが決められた.(対象動物には牛,羊,山羊,豚,鶏,鳥,魚などが含まれている.)そしてEUの委員会で決めたことは1996年8月1日までにすべての農家や飼料メーカーなどの倉庫に残っている肉骨粉やそれを含むすべての配合飼料を検査官が調査,摘発し,配合飼料用の機械や肉骨粉の置かれていた倉庫を洗浄することであった.また1996年8月からは配合飼料のサンプル中に含まれる動物蛋白の有無をELISA法などで検査することも決めた.その結果2000年6月までに約6万件の試料が検査された.この調査によって初めて英国における肉骨粉が完全に農家から消えることになったと考えられ,1989年と1990年に施行された特定危険材料(SRM)の食糧としての使用禁止を含め,危険な飼料や食糧の流れを99%以上止めることが出来たはずである.
 
しかし,問題は1996年8月までに残っていた肉骨粉を与えられていた可能性のある牛の摘発である.英国は1996年4月から30ヶ月齢以上の牛を殺処分することに決め,最初の12ヶ月間で通常の年間淘汰数75万頭に加え35万頭の成牛が淘汰された.この例外的な殺処分は高価につき持続することが出来なかった.1999年11月にEUは英国の牛のうち30ヶ月齢以上の牛を全頭殺処分する30ヶ月法(OTMS)を決めた.この大量殺処分は2000年1月から始まり,6月までに425万頭の牛が殺処分された(うち40万頭は焼却処分され,残りは化成工場で処理され,その産物である46万トンの肉骨粉と21万トンの獣脂は焼却処分中である).この殺処分と焼却には膨大な補助金と施設が必要でEUの農業関係の予算を殆ど使っても足りないほどで深刻な問題となってきている.しかし最近では30ヶ月齢以下の牛にBSEが2〜3例発生している.EUは上記の対策を実施したことにより英国の牛肉の安全性を認め,近々牛肉の輸出を許可する予定であったが,最近英国に口蹄疫が発生したため解禁の時期は再び延期されることになった(2001年2月末現在).

  



  


(a)1989年以前の報告例なし
(b)フランスで1頭輸入牛に発生(1999年)
  アイルランドで輸入牛に発生:1989年(5),1990年(2),1992年(2),1994年(1),1995年(1)
  ポルトガルで1頭輸入牛に発生(2000年)
(c)輸入牛に発生
(d)ベルギーでの発生日:2001年1月18日までの数
  デンマークでの発生日:2001年1月15日までの数
  フランスでの発生例:101(2000年6月8日に検査開始以後の数)
  ドイツでの発生日:2001年2月8日以前の頭数
  イタリアでの発生日:2001年1月16日
  リヒテンシュタインでの発症確認日:1998年9月30日
  ルクセンブルク:2001年1月31日現在
  オランダ:2001年1月19日現在
  スペイン:2001年2月8日現在
  スイス:2000年12月22日現在:発症例17と検査陽性例16

7.診断方法
7.1 野外診断法
 
BSEに感染した牛ではBSEプリオンに対する抗体の産生が全く見られないので抗体の検査による診断方法はない.また発熱もないので神経的症状が出てくるまでは診断が難しい.発症は約2歳齢以上の牛に多いが,はっきりした症状が出るまで,一般の伝染病のような身体上の異常も見られない.
 初期のBSEはあまりはっきりした症状を見せないケースが多く,いろいろな治療に対しても反応がなく,日時が経つにつれて次の4つの症状が次第にはっきり見られるようになる.
 1) 精神状態の異常,特に神経過敏症の状態が見られる(約30%のケース).
 2) 接触や音に対する感覚の異常(光や熱に対しても過剰な反応を示す).
 3) 歩行の異常,通常後肢の歩行障害(揺れ,引きずり,震え等).
 4) 頭を下げ,首を伸ばし,耳を後方に向ける.
その他の初期の症状としては搾乳時等に後肢で蹴るようになったり(約20%のケース),恐怖症的症状を示して入り口で止まってしまったりすることが多い(表4).
 
感染牛は一般に食欲は衰えないが体力の減退,体重の減少,乳量の減少等が明らかになってくる.歩行障害の悪化や身体の衰弱が進行すると倒れたり,横転したりして立ち上がれなくなったりして最後にはすべての感染牛が死亡する.


  

7.2 実験室内診断法
 
BSEの室内診断用としては牛の脳半分をホルマリン固定した材料と残り半分をそのままもしくは凍結した状態で検査所に送る.また血液,血清も採取する.
BSE以外の病気が疑われる場合にはそれらの病気に応じた材料を採って送る.
 
BSE診断の決め手となるのは中枢神経組織に多く見られる海綿状脳症特有の病変の検出である.特に脳幹の灰白質部には左右対称に神経細胞の空胞や小空洞が認められる.また主として延髄等の神経細胞の核周囲部や神経突起には多数の神経内空胞の形成が見られ,スポンジ状の脳のように見える.この延髄の一切片中に見られる細胞内空胞の存在は99%以上のBSEの症例で証明されている.また神経細胞の細胞質内にceroid-lipofusion色素の塊が空胞形成部位に認められる.程度の差はあるが大脳のアミロイド症が伝染性海綿状脳症の特徴の一つである.必要な脳組織の採り方,組織切片の作り方,固定および染色方法はOIEマニュアル(3)を参照されたい.
 
その他伝染性海綿状脳症に共通した病変の検査方法としては脳脊髄組織材料を溶媒で処理,抽出した試料中に電子顕微鏡で見られるSAF(Scrapie associated ibril)と呼ばれる小繊維構造のフィラメント(4〜6nm)の検出方法がある.このSAFの検出率は組織標本中の病変の検出率と一致するが検査方法は熟練を要するので通常の検査としては使われていない.
 
その他の診断方法にはゲル電気泳動法により集められたプロティナーゼK耐性型の変性プリオンをimmunoblottingによって染色してその存在を証明する方法で,感染組織から抽出した材料をWestern blot法によって検出する方法と,脳の凍結組織切片上に変性したプリオンの塊の存在を染色証明する方法と2通りがある.(プリオンに特異的な抗体はウサギに接種して作りラベルする.)最近,自動化ウエスタン・ブロット法やELISA法を使って,数多くのサンプルの予備テストが出来るようになった.しかしこれらの方法はいずれも単独でBSE感染の有無を決定づける診断法としては使われていない.また感染していると思われる牛の尿の化学成分の分析による診断方法もその特異性について検討されている.その他,スクレイピーの検査に用いられている,羊の扁桃や瞬膜の淋巴組織の摘出による異常プリオンの免疫組織化学的な検査方法のBSEへの応用は今も研究が進められている.
 
EU(欧州連合)諸国ではBSEの実験室診断方法を選択するため1999年に表5に示した4社のテストキットを使って大規模な比較調査を行なった.その結果,EU委員会はスイスのPrionic社(テストB)とフランスのBiorat社(テストD)を選び,推奨した.Enfer Tech. 社(テストC)の方法は手法上のコンタミの問題が認められた.Wallac社とEnfer Tech.社の方法は英国とアイルランドでそれぞれ使われている.Prionic社の方法は目下スイスだけでなくEU諸国やオーストラリアやニュージーランドでも使われている.それは感度や特異性が高いだけでなく比較的短時間(7〜8時間)で結果が得られるためである.
 
BSEの病原体はマウスの脳内および腹腔内接種もしくは経口投与することによって感染を起こすが潜伏期間が長いので通常の診断法としては使われていない.しかしプリオンの分離方法として使われる唯一の方法である.またプリオンの感染力の判定や比較にマウスが使われることが多い.英国で使われているマウスにはRIII,C57B1,IM,VM等の系統が多いが,これらのマウスでBSEの病原体を分離しようとするとそれぞれ平均約300日,400日,450日,500日と初代の潜伏期間が長い.潜伏期間はマウス継代によりかなり短縮される.しかし,マウスと牛での力価を比較すると牛の方が少なくとも約1,000倍も感度が高いので,マウスの検査で陰性であっても必ずしもBSE陰性と割り切ることは出来ない.またマウスの脳内接種だけよりも脳内と腹腔内に同時に接種した方が感度が高くなると言われている.

  



8.感染経路と疫学
 
英国で最初にBSE様の症状を示した牛が認められたのは1985年でBSEはいわば英国産の牛の病気と言える.その当時はBSEに感染した牛の死体が肉骨粉の製造過程に加えられていたため(1988年に反芻獣から作られた蛋白飼料投与の禁止令が出るまで)BSEのプリオンを含むかなり大量の蛋白飼料が英国本土のみならず他の欧州諸国でも使用されたものと思われる.また1988年の禁止令以降も同じ肉骨粉が反芻獣以外の動物(豚や鶏)用に市場に出回っていたため,それを安全な飼料と思い牛に与えていた農家が多数あったものと考えられる.この豚や鶏用の蛋白飼料の使用も英国で1990年9月に禁止されたがこれがBSEの発生のピークが疫学的予測より約2年遅れた理由の一つと思われる.
 
BSEの発生は南部イングランドに特に多いが,これは北部(スコットランド)では肉骨粉の製造過程で溶媒による脂肪抽出を行なっていたところが多かったためと考えられる.またBSEは肉牛より乳牛に多く発生が見られたがこれは乳牛により多くの肉骨粉が使用されたためとも考えられる.しかし発生のあった群の牛はすべて感染発症するのでなくむしろ散発的に発生が見られた群が多かった.し
かも発生は成牛のみに見られ子牛には見られなかった.またBSEに対する感受性は牛の品種間に差はなく性別の差も認められていない.また妊娠,哺乳期,季節などとの関連も認められていない.また羊との接触の度合との関連も認められていない.しかし発生例のすべてが肉骨粉を含む合成飼料を与えられていたことからBSEは経口感染によるもので接触感染によるものでないことは明らかである.
 
BSEの発生のあった群では発症例は常に3%以下であった.これは水平感染(群内感染)を起こさないことを意味すると同時に飼料中のBSEプリオンの濃度は一定でなく塊状になっているか,もしくはBSEプリオンを与えられても発症まで生き残るものは3%以下であるのかもしれない.実験的にはBSE感染牛の脳を約1g経口的に与えることにより感染が成立することがわかっている.
 
BSEは牛のみならず猫やウシ科の野生動物も経口的に感染することがわかっている.水平感染もBSEに汚染したものを口にしなければ起こらないと考えられているが,母牛がBSEを発症してから3日以内に生まれた子牛にも後日BSEの発生があったことが報告されている.垂直感染(母子感染)は起こる可能性が考えられているが果たして母子感染によるものか,もしくは生まれてから後に肉骨粉などの汚染物を与えられたために感染が起こったのか定かではない場合が多い.

9.食品の安全性と問題点
 
BSEに感染した牛の体内での病原体の分布状態は牛肉や臓器の消費者にとって一番関心の高い問題である.英国ではBSEに感染した牛の組織の中で汚染の可能性のある下記の臓器を特定臓器(SBO)と呼び,人の食料として使用してはならないと決められている.
 1) 6ヶ月齢以上の牛の脳,脊髄,脾臓,胸腺,扁桃腺および腸管(回腸,結腸)
 2) 6ヶ月齢以下の子牛の胸腺と腸管
 以上の臓器の他に牛の眼にも病原性が認められたので,英国では牛の頭は舌以外はすべて食料としての使用を禁止した.
 
一方EU委員会は1994年の決定で,脳,脊髄,腸,脾臓,扁桃腺,胸腺,下垂体,胎盤,副腎,膵臓,卵巣,血清,精巣と培養細胞を英国から他のEU諸国に輸出することを禁止した.また1996年3月には英国の牛,牛肉及びその牛加工品,医薬品原料,肉骨粉の輸出も禁止した.
 
しかし,と畜場での解体処理の過程を考えると,臓器や肉がBSEに全く汚染することなく取り出すことは難しい.特に牛の体を二分するときには脊髄の神経組織も鋸で二分しなくてはならず,また使用した器具も簡単に消毒ができないという問題がある.また最近EU諸国では骨付き牛肉は脊髄からの神経を含んでいる可能性があるので食肉として使わないような動きがあり,EUはTボーンステーキ用牛肉のEU域内での販売を禁止する方針を検討している.
 
BSEと人の海綿状脳症との関連が疑われるようになった昨今,英国民やEU諸国の消費者もショックを受けており,欧州産牛肉の消費が激減しており,BSE清浄国からの輸入肉を求める消費者が欧州で増えている.
 
一方,これから次第に問題が明るみに出てくると思われるのは,BSEに感染した羊や山羊の問題である.欧州では羊や山羊の乳やチーズを作っている農家も多く,BSEに汚染した英国製の肉骨粉を配合飼料として与えた所もあることがわかっている.それらの羊で発病したものは,今のところスクレイピーとして処理されている可能性が高い.前述の如く,これらの動物はBSEに感染することは実証されているので,乳以外の畜産物を食料として消費した場合にどうなるか全くわかっていない.また羊や山羊がBSEに感染した時に,どの臓器が病原体を多く含み,どの部分が安全なのかも全くわかっていない.牛のBSEの騒動の次は羊や山羊のBSEがクローズアップされることになるかもしれない.

10.予防と今後の問題
 
BSEのプリオンを含む肉骨粉が,牛だけでなく羊や山羊等にも泌乳量を増やすための飼料として与えられていたことがわかっているので,今後は牛だけでなくこれらの動物のBSEの発生状況を調査する必要がある.今のところ英国では羊におけるBSEの疫学的データはなく,羊の海綿状脳症はすべてスクレイピーとして報告されてきたが,目下BSEとの関係についても調査が進められている.表1に示す如く,羊や山羊はBSEに経口的に感染することがわかっているので今後の問題として注意を払うべきである.また,これからは危険度分析の手法を強化していかないと思わぬ抜け穴からBSEが侵入してくる可能性がある.
 
英国では1988年7月に英国本土で反芻動物由来の蛋白飼料を反芻動物に使用することを禁じたが,その飼料を豚や鶏に与えることを禁止しなかったため,この肉骨粉が1990年9月に使用禁止となるまで出回り,それを配合飼料として牛や羊に与えていた農家があったものと考えられる.
 
1996年のEUの措置:日本へのBSEの侵入を防ぐためには英国およびBSE発生国からの牛およびその製品,反芻獣の肉骨粉を含む飼料その他危険度の高いものの輸入をOIEの国際規則に従って禁止することである.OIEの国際規則(Code)(2)によると健康な牛からの精液や牛乳と乳製品および皮革は安全である.またゼラチン,コラーゲンや牛脂も定められた方法で加工されたものは安全と認められている.またBSE発生国から牛を輸入する場合には汚染の可能性のある肉骨粉が飼料として与えられたことがないことを証明しなければならないが,その信憑性を保証することはなかなか難しい.
 
羊のスクレイピーとBSEは同一ではないので,スクレイピーは存在するがBSEのないアメリカ,カナダ,オーストラリア,ニュージーランド等の国々からの牛およびその産物の輸入は以前と変わらない.しかしこれらの国々で作られた肉骨粉を含む飼料の輸入はプリオンを100%不活する処理方法が確立されていないことがあるので注意が必要である.しかしスクレイピーに感染している羊と牛を同じ場所に放牧してもBSEは発生しない.重要なことはBSE感染国からBSEに感染した牛や羊やBSEに汚染した材料の輸入を許さないことと,たとえBSEが発生してもそれが反芻獣用の蛋白飼料に使われないようにしておくことである.その一方で肉骨粉の安全な製造方法の研究開発が必要である.
 
日本政府の対外的な必要措置はすでに取られてきたと思われるのでBSEが日本に入る心配は殆どないと思うが,日本で早急に進めるべきは日本国内でのBSEの監視体制の強化であり,少しでも疑わしい牛の症例の的確な検査と診断が行われる必要がある.またアジアの多くの途上国でのBSEの監視態勢は殆ど機能していない状況であるのでBSEのみならず新しい病気の疫学的調査システムの強化が早急に必要と考えられる.
 
今日,BSEの研究で最も重要と思われることは感染している可能性のある正常な牛の簡便かつ迅速な診断方法の開発である.牛や羊が発症するまで感染の有無がわからないのでは国民に対し経済的にも社会的にも大きな負担と不安を与える結果となる.英国でのBSEに関する調査,研究の結果が今後も次々に発表されるものと思われるが,それらの科学的なデータの信憑性を吟味しつつ,今日輸入禁止されているものをいつ,何を解禁することが出来るか,またさらに厳しい予防的措置をとるべきか,その時期を慎重に見極めていかねばならない.

参考文献
 (1) 小澤義博:牛海綿状脳症(狂牛病)の知識,日本獣医師会雑誌, 49, 486-493, 1996
 (2) OIE: Transmissible spongiform encephalopathy agents inactivation procedure, International Animal Health Code, 379, 2000
 (3) OIE: Bovine spongiform encephalopathy, OIE Manual of Standards for Diagnostic Tests and Vaccines, 455-465, 2000
 (4) Will, R. G. et al.: A new variant of Creutzfeldt-Jakob disease in the UK, Lancet, 347, 921-925, 1996
 (5) 小澤義博:スイスにおける牛海綿状脳症(BSE),日本獣医師会雑誌, 49, 595-596, 1996
 (6) Bradley, R.: Veterinary research at the Central Veterinary Laboratory with special reference to scrapie and bovine spongiform encephalopathy, OIE Sci. Tech. Rev., 19 (3), 819-830, 2000
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 (8) Bradley, R.: Bull. Soc. Vet. Prat de France, 78, 339, 1994