スイスのバーゼルでBSE and Food Safetyに関する国際会議が4月17−19日に開かれました。これは、TAFS (The International Forum for TSE and Food Safety)という2001年に結成されたNPOが主催した第1回会議です。TAFSは、BSEを含むTSE(transmissible spongiform encephalopahty:伝達性海綿状脳症、プリオン病の別名)のフッドチェーンへの影響について、科学者、食品専門家、家畜衛生行政担当者、疫学者、臨床検査担当者、食品製造業者、消費者などが、国際的な場で議論を行って信頼できる情報を提供することを目的として設立されたものです。独立した国際的組織による、BSEに関するこのような集まりは初めての試みで、世界各国から150名あまりが集まり、活発な討論が行われました。
日本からは私のほかに学術会議から2名の会員(東大の唐木英明先生と椙山大学の安本教傳先生)が参加されました。
会議の世話役はスイスのベルンにあるスイス連邦獣医局のウルリッヒ・キムUlrich Khim博士です。この会議で発表された科学的知見のいくつかと総合討論での話題の一部をピックアップして簡単にご紹介しようと思います。
1.変異型CJDの現状(ロバート・ウイルRobert Will)
彼は英国CJD調査委員会を設立し、初代委員長をつとめた神経内科医です。変異型CJDの最初の論文の筆頭著者でもあります。英国の変異型CJD患者数は今年の4月の時点で、118名、死亡時の平均年齢は29歳(14−74歳)、平均発病年齢は28歳です。男性が63名、女性が54名(117名の際の集計)と、男女差は見られません。患者数は3年ごとに倍増してきています。今後もこの傾向が続くかどうかは分かりません。
これまでにプリオン遺伝子が解析された患者99名では、全員がコドン129番がメチオニン/メチオニン・ホモのタイプでした。しかし、この遺伝子型が潜伏期にかかわるものであれば、いずれはメチオニン/バリンのヘテロの人での患者の発生が予想されます。
変異型CJDでの不確実性として、彼は以下をあげていました。
1)どれくらいの人が感染を受けているか?
2)英国を初めほかの国も含めて、どの程度まで人へのBSEの暴露が起きたか?
3)医療行為で2次感染は起きるだろうか?
4)大衆はBSEの危険性から十分に守られているだろうか?
若い人に変異型CJDが多い理由も不明です。74歳の患者の例もありますが、ほとんどは20歳台です。若い人の感受性については、プリオンを高濃度に含む特定の食品(たとえばハンバーグ)を食べたこと、または小腸のパイエル板を通じて病原体が輸送される効率が若い人では高いためか、などが言われていますが、推測にすぎません。
2.BSEの伝達と発病機構(ダニー・マシューズDanny Matthews)
彼は英国ウエイブリッジにある獣医研究所(Veterinary Laboratories Agency: VLA。中央獣医学研究所Central Veterinary Laboratoryが数年前に改称されたもの。千葉のBSEウシの確定診断を行ったところです)でBSE研究計画の責任者をつとめています。
BSEを経口感染させたウシの体内での病原体の分布を調べる実験は1990年に開始され、その成績が現在のヨーロッパや日本での特定危険部位の決定の科学的根拠になっています。
これは子ウシにBSEウシの脳乳剤を食べさせて、4ヶ月毎に2−3頭を解剖して、さまざまな組織での感染性を調べるものです。12年目の現在でも、実験はまだすべては終わっていません。全部で約350頭のウシを用いて12年間かけて行うという、大変な実験です。ウシでのBSE感染実験の困難な面がよく分かると思います。
実験は3段階で、最初はRIII系統のマウスまたはC57Black系統のマウスで感染性を調べたものです。これは終了していて、まず、6ヶ月目に回腸遠位部、ついで32ヶ月目以後に末梢神経節、脊髄、大脳などに感染性が見いだされ、痕跡程度の感染性が骨髄に見いだされています。これらの成績は私がこれまでに書いたいくつかの本でも述べてあります。
第2段階はRIII系統のマウスで感染性の検出を繰り返したもので、とくに新しい知見は見られません。
第3段階は子ウシの脳内にサンプルを接種して感染性を調べる実験です。ウシのBSEに対する感受性は種の壁がないため、マウスよりも500倍高い結果が得られています(以前は1000倍といわれていましたが、データが蓄積してきて、現在では平均500倍になっています)。そのため、ウシをマウスの代わりに用いるという大変な実験になったわけです。この実験では、重要とみなされる15種類の組織(中枢神経系、末梢神経系、筋肉3部位、回腸遠位部、肝臓、扁桃、脾臓、各種リンパ節、白血球、皮膚、尿など)について、子ウシでの感染性の検出を試みています。
子ウシへの脳内接種での平均潜伏期間は23ヶ月で、すでに発病しているのは、マウスの場合に感染性が見いだされた組織のみです。すなわち、マウスと同じ結果がウシでも見いだされてきていることになります。しかし、実験はまだ終了していません。たとえば筋肉(3つの部位)ですと、接種後37−64ヶ月経ってまだ発病はみられないので、観察が続けられています。
この実験とは別に行われた実験では、子ウシにBSEウシの脳1グラムを経口で与えた場合、10頭中7頭が発病しています。さらに少ない量(0.1, 0.01, 0.001グラム)を食べさせた実験が現在進行中です。これまでのところまだ発病は見られていません。
このほかに10頭ずつ2群のウシに、BSEウシの脳1グラムまたは100グラムを食べさせ乳について異常プリオン蛋白の検出を試みる実験が行われています。これは前回(第127回)の本講座でご紹介したものです。
3.ウシでの実験の現状
上に述べたVLAでの感染性分布を調べる実験では、350頭ものウシを用いて10年以上かけて行っている大規模なもので、これが世界での安全対策に基盤に役立っています。この実験はロンドン郊外ウエイブリッジの研究所の農場と近くの農場で行われています。
このような実験は、ほかの国では行われていません。フランスで小規模の実験が行われているはずという質問がありましたが、参加者からの回答はありませんでした。
ドイツは、これから英国と同様の実験を開始するそうです。50頭のウシを用いて感染性の分布を調べる予定とのことです。場所はインゼル・リームスInsel Riemsという、旧東ドイツ領のバルチック海の島です。島といっても現在は橋でつながっています。ここにフリードリッヒ・レフラー研究所があります。レフラーは口蹄疫ウイルスを分離した研究者で、私は1997年、ここで開かれたウイルス発見100年記念シンポジウムに参加したことがあります(本講座第58回)。
何年にもわたる感染実験を隔離施設で行うことは物理的にも、動物福祉の面からも不可能であり、BSEウシの感染実験はVLAと同様に屋外の飼育場で行われるとのことです。
4.迅速BSE検査の適切な実施時期
ウシでの発病機構の実験の成績が蓄積してきたことで、どの時期にBSE検査をすればよいかが分かってきました。実験的には30ヶ月後から発病が見られていますが、この時期での発病は野外では稀です。そこでマシューズは、30ヶ月発病例、平均発病時期の60ヶ月発病例、それと中間の48ヶ月発病例について、それぞれ現在EUなどが実施している24ヶ月令での検査の場合について、異常プリオン蛋白の検出の可能性について次の見解を述べています。
30ヶ月で発病する場合ですと、24ヶ月令は初期症状が出始める時期に相当していて脳には病原体の蓄積があるため、BSE検査は陽性になります。ところが48ヶ月で発病する場合では、潜伏期の中期から後期に相当し、60ヶ月で発病する場合では潜伏期の初期に相当します。これらの時期には脳には病原体の蓄積はほとんどありません。したがって、これらの場合にはBSE検査は陰性になります。野外で発病するウシのほとんどは60ヶ月令です。したがって、24ヶ月令よりも若いウシでの検査は科学的には無意味ということになります。
5.ヒツジでのBSE感染
ヒツジも肉骨粉を餌として与えられていたことからヒツジでのBSE感染が、最近ふたたび問題になっています。ヒツジに5グラムのBSEウシの脳を食べさせる感染実験はVLAと家畜衛生研究所で別々に行われ、感染の起きることが見いだされています。これらの実験は中間段階ですが、実験的にヒツジが感染するという点が重要視され、すでに論文発表もされています。
マシューズが発表したVLAの成績は、ヒツジでのBSEがウシの場合よりも複雑なことを示しています。その概要をご紹介します。
スクレイピーでは、ヒツジのプリオン遺伝子のタイプにより発病する感受性のものと、発病しない抵抗性のものが見つかっています。以前にIAHで行われた研究で、コドン136番がアラニン(A)、コドン154番がアルギニン(R)、コドン171番がグルタミン(Q)で、これらがホモ(ARQ/ARQ)のヒツジはスクレイピーに感受性、一方、ARR/ARR、すなわち171番がグルタミンからアルギニンに変わっているヒツジは抵抗性で発病しません。
VLAで進行中の実験では、BSEの経口投与に対してARQ/ARQのヒツジだけが20−37ヶ月後に発病し、ARQ/ARR(ヘテロ)は51ヶ月目に発病したところです。しかし、ARR/ARRのヒツジは54ヶ月経った現在まだ発病していません。この成績はスクレイピーの場合と同じです。
発病したARQ/ARQのヒツジでは、感染性は脳、脊髄を含む中枢神経系、迷走神経、脾臓、胸腺、リンパ節、消化管全体など、多くの組織に見つかっています。ウシでは感染性は中枢神経系、末梢神経節と回腸遠位部のみに見つかっていますので、ヒツジのBSE感染は、ウシの場合よりも複雑な発病機構を示すことになります。
また、ヒツジの品種によって抵抗性のものもありますが、安全対策を実施する場合には、感受性のヒツジを対象としたものにしなければならないと考えられています。現実的な特定危険部位を決めることもかなり困難になります。しかし、消費者が受け入れられるレベルまで危険性を減少させることは可能です。BSEウシの場合と同様ですが、ゼロリスクを保証することはできません。
ヒツジの場合には利点もあります。ウシと違って扁桃や瞼のリンパ節を調べることで、生前診断が可能かもしれません。また、抵抗性の品種を育成することも可能です。
6.「正常」プリオン:用語の混乱
総合討論で提示された質問の中に、モnormal メ prionに関するものがありました。質問の内容は忘れましたが、この用語に対してプリオン研究の第一人者であるチューリッヒ大学のアドリアーノ・アグッチ教授が表現の間違いを指摘していました。日本だけでなく、ヨーロッパでも同じ混乱が起きていて、専門家がいらいらしていることを改めて感じさせられました。
「プリオン」は病原体の名称で「ウイルス」や「細菌」に相当します。したがって、「正常」プリオンという名前は本来存在しません。プリオンの構成成分は「異常プリオンタンパク質」で、これは「正常プリオンタンパク質」の立体構造が変化したものです。「異常プリオン」という表現もありません。しかし、日本でも、「異常プリオン」、「正常プリオン」と、いつのまにか、タンパク質が省略されてしまいました。
ややこしいプリオン説ですので、一般社会でこのような混乱が起こるのはやむをえないのかもしれませんが、少なくとも学術用語としては間違っていることは理解していただきたいものです。
7.リスク分析
これはBSEや組み換え食品がきっかけで急速に進んできた領域で、リスク評価、リスク管理、リスクコミュニケーションの3要素から成ります。これらについてさまざまな議論が、専門家、行政、消費者などの立場から行われました。
総合討論で取り上げられた話題のタイトルだけをご紹介しておきます。
- 対策の有効性:スイス連邦獣医局の女性は、日本はスイスと同様に効果的な対策が実施できたことからラッキーだとコメントしていました。
- 透明性:ダイナミックな進歩をしている科学の知見を反映したリスクコミュニケーションに、透明性を維持できるか?
- 受け入れられるリスク
- 信頼性
- コミュニケーション
- 不確実性
- 消費者の責任
- 予防:とくに小さなリスクや理論的リスクに対する
8.ドイツ消費者保護・栄養・農業省大臣の挨拶
会議の最後にレナーテ・キュナストRenate Kuenast大臣が30分間にわたって演説を行いました。この省は2000年暮れにBSEの初発が見つかった後に、行政改革で新設されたものです。
まず、最初にBSE発生時にKhim博士に大変世話になったことを述べていました。彼女の演説の中で印象に残ったのは、ドイツではリスク管理の体制は出来ていたが、クライシス管理の体制は出来ていなかったという見解、また、BSEは全般的なフッド・クライシスのなかの、ほんの一つの例に過ぎないという言葉でした。
連続講座:人獣共通感染症へ