新刊書「プリオン病の謎に迫る」と「ウイルス学事典」
上記の2冊が4月末に出版されました。前者は一般向けの解説書です。後者はCDCの元ウイルス・リケッチア病部門長Brian Mahyの「A Dictionary of Virology」を元・国立予防衛生研究所の北野忠彦先生、元・国立遺伝学研究所の石浜明先生と一緒に翻訳したものです。
前者については、目次とエピローグの部分、後者については訳者まえがきの部分を紹介させていただきます。
「プリオン病の謎に迫る」(NHKブックス)
プロローグ:最初の犠牲者たち
動物園の動物たち
ネコ海綿状脳症
十歳台の若者のクロイツフェルト・ヤコブ病
全世界に衝撃を与えた英国政府の発表
1章 ウシに発生した新しい病気:ウシ海綿状脳症(BSE:狂牛病)
1. 最初の発生
2. 中央獣医学研究所による検査
3. 獣医局による情報抑制
4. BSEの特徴
5. BSE発生の原因の追求
6. サウスウッド委員会の報告
7. ティレル委員会の設立と特定臓器の食用禁止
2章 羊毛産業の発展とともに広がったスクレイピー
1. 昔から存在したスクレイピー
2. ヒツジの輸入に伴った全世界へのスクレイピーの広がり
3. スクレイピー病原体の伝達性と異常な性質
4. 伝達性ミンク脳症の発生の謎
3章 ヒツジの病気からヒトの神経病へ
1. 呪術の犠牲、クールー
2. ガイジュセックとの出会い
3. ガイジュセック・ジガス症候群
4. スクレイピーとクールーの類似性
5. チンパンジーへの伝達実験
6. 伝達性海綿状脳症の概念の確立
7. 共食いにより起きたクールー
4章 さまざまな伝達性海綿状脳症
1. クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)ではなかったクロイツフェルト医師の患者
2. 原因不明の孤発型クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)
3. リビア系ユダヤ人に多発するクロイツフェルト・ヤコブ病
4. 医療行為で感染するクロイツフェルト・ヤコブ病
移植や脳外科処置で起きたCJD
ホルモン製剤から感染したCJD
硬膜移植によるCJD
5. 家族内で起きるCJD類似の病気-ゲルストマン・シュトロイスラー・シャインカー病(GSS)
6. 伝達性海綿状脳症はすべてスクレイピーから来た病気?
7. クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)をめぐるさまざまな問題
8. 海綿状の病変のない伝達性海綿状脳症-致死性家族性不眠症
9. 米国の野生シカで発生している伝達性海綿状脳症-慢性消耗性疾患
5章 病原体の本体をめぐる議論
1. ヒツジの病気から生まれたスローウイルス感染の概念
2. 先見の明があったシーグルドソンの分類
3. ガイジュセックの非通常ウイルス原因説
4. 病原体の精製実験から生まれたプリオン説
5. 異教徒にされたプリオン説
6. プリオン説の意外な展開
7. プリオン病の概念の確立
8. 異常プリオンタンパク質は病原体か病的産物か
9. 正常プリオンタンパク質の機能
10.異教徒から正教徒になったプリオン説
11.プルシナー博士の知られざる一面
6章 全世界をおそったBSEパニック
1. BSEはヒトに感染しない?
2. 機械で集める肉
3. 新変異型クロイツフェルト・ヤコブ病の衝撃
4. BAB例
5. 三0ヶ月令以上のウシの殺処分
6. 厚生省BSE調査チーム
7. ネコ科動物とウシ科動物で発生したプリオン病
7章 BSEと現代社会
1. ミルク製造工場になったウシ
2. 目に見えない工業:レンダリング
3. 強制的共食いが産み出したBSE
4. 草食動物も動物性タンパク質を栄養源としている
5. 狂牛病のウシは狂ってはいない
6. 伝染病にされたプリオン病
8章 BSEと変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)をめぐる問題
1. BSEの起源についての議論
1) BSEはウシから来た病原体
2) BSEのスクレイピー起源説は否定できない
3) アフリカの野生動物が持ち込んだBSE病原体
2. 変異型CJDとBSEは同じ病原体による病気
3. BSEに感染するさまざまな動物種
4. 種の壁
5. 経口感染のメカニズム
6. 母子感染によるBSE伝播の可能性
7. BSEウシでの感染性の分布
8. ヒツジはBSEに感染する
9章 プリオン病の診断と治療
1. 異常プリオンタンパク質の検出が唯一の確定診断法
2. プリオン病の診断法の種類
1) 病理学的検査と免疫組織化学検査
2) 生化学検査
3) マウス・バイオアッセイ
3. 生前診断
4. 開発中の診断法
1) 常プリオンタンパク質を増幅させる方法
2) マーカー試験
3) 尿中の異常プリオンタンパク質の検出
5.治療法の開発
10章 ヨーロッパで広がりはじめたBSE
1. 欧州連合(EU)の国別リスク評価
2. フランスで起きてきたBSE騒動
3. BSE初発国の増加
11章 日本で発生したBSE
1. 偶然見いだされたBSE感染ウシ
2. 感染源は英国から輸出された肉骨粉?
3. 短期間に確立された安全対策
1) ウシの間でのBSEの広がりの防止
2) 屠畜場のウシについてのBSE検査
3) 特定危険部位の食用禁止
4) 安全な解体手順
12章 変異型CJDの予防をめぐる議論
1. 食品の安全性についての原則:科学運営委員会の見解
2. 牛乳の安全性
3. 医薬品、化粧品の安全性
4. 変異型CJD患者の発生予測
5. 変異型CJD患者からの医原性感染のおそれ
13章 将来も続くBSEとの戦い
1. 日本でのBSE対応を振り返る
2. 家畜衛生対策に欠けている公衆衛生の視点
3. 世界各国に拡散したBSE
4. 日本でのプリオン病研究の蓄積
5. BSE清浄化への道
エピローグ:大きな謎への挑戦
一九七四年、私は日本に霊長類センターを設立する準備のために、すでに活発な研究活動を行っていた米国の霊長類センターを訪問していた。その際、ガイジュセックのクールーやCJDのサルへの接種実験に非常に大きな関心があったため、国立衛生研究所のガイジュセック博士の研究室を訪問し、動物実験を担当していたジョー・ギブス博士からクールーやCJDのサルへの伝播実験の詳細を説明していただいた。もともと獣医学の問題であった病気がヒトの神経難病につながった経緯はすばらしくドラマティックであった。獣医学出身でウイルスによるヒトの神経難病を研究課題としていた私にとって、これらの研究は、きわめて魅力的であり、しかも知的好奇心を強くそそるものであった。
一九八0年に私は遅発性ウイルス感染調査研究班のメンバーに加えていただき、すでにCJDのマウス・モデル作出で世界的に有名になっておられた九州大学立石潤教授の研究グループの研究成果にもじかに触れることになった。まだ、プリオン病の名前が生まれる前である。原因の病原体は微生物学の大きな謎であって、特殊なウイルスであろうと考えられていた時代であった。
それから間もなく、一九八二年にスタンレー・プルシナーのプリオン説が登場した。これは私にとっても非常に大きな衝撃であり、新しい学問領域の展開のきざしが感じられた。それ以来、プリオン説の進展は私の大きな関心事になった。同じ頃、日本ではスクレイピーの発生が初めて確認され、動物の世界でのプリオン病の研究が帯広畜産大学の品川森一教授のもとで始まった。彼もまた、遅発性ウイルス感染調査研究班の重要なメンバーになった。こうして、日本でヒトと動物のプリオン病の研究体制が出来てきた頃、一九八六年に英国中央獣医学研究所でBSEの発生が確認された。この研究所には私がカリフォルニア大学に留学していた際の研究仲間が所属していて一九六四年に訪問したことがあり、私にとっては身近な出来事に感じられた。
BSEを契機として、比較的限られた数の研究者が取り組んでいたプリオン病研究の世界は一挙に広がっていった。とくに、一九九六年に変異型CJD患者の発生確認をきっかけとして、プリオン説をてがかりとしてヒトへの安全対策が立てられていった。BSE問題は畜産のみならず、公衆衛生、食の安全など幅広い領域につながっていったのである。しかもBSEは近代畜産のもと人間が作り出した病気であることが明らかになり、現代社会のあり方を問い掛けるものにもなった。二0年前にはまったく予想できなかった事態につながったといえよう。
振り返ってみると、私が感染症の研究の世界に飛び込んだ一九五0年代はウイルス学が進展し始めた時であった。それまでウイルスの存在は、動物や人間に病気を起こすことで認識されていたのが、試験管内で培養した細胞でウイルスが取り扱えるようになり始めた時であった。さらに、一九八0年代からは遺伝子のレベルでウイルスの実態が明らかになっていった。
そのような視点で見れば、ほとんどが動物への感染実験に依存している現在のプリオン病研究は五0年前のウイルス学にも相当する。マウスやウシを使わなければ病原体の存在はわからない。しかも、答えが出るまでには長い潜伏期の間、待たなければならない。病原体の本体が異常プリオンタンパク質であるという点も、状況証拠は数多く揃っていても、最終的な結論は出ていない。しかし、プリオン説にもとづいて、異常プリオンタンパク質の検出によりBSEウシの検査や変異型CJDの確定診断が行われるようになった。少なくとも、現実的な安全対策は確実に実施できるようになったといえる。
しかし、科学的に解明されていない問題は多数残っている。どのようにして正常プリオンタンパク質は異常な構造に変わるのか。口から摂取されたBSE病原体がウシの小腸で最初に増えてから、三年目に脳や脊髄で見つかるまで、どのようなことが起きているのか。異常プリオンタンパク質が蓄積するとなぜ空胞ができ、神経組織が破壊されるのか。このような病気の発生のメカニズムのどれひとつを取り上げても、分かっていないことが多い。
BSEがヒトに感染して変異型CJDを起こしていることはほぼ間違いない。しかし、ヒトには簡単にかからないことも事実である。これは種の壁があるためと説明されているが、種の壁は現象から推測しているだけで実体はなにも分かっていない。
プリオン病の研究領域ではすでに、ガイジュセック、プルシナーと二人のノーベル賞受賞者が出ている。三人目のノーベル賞は上に例示したいくつかの問題に、どのような面で貢献するのであろうか。
プリオン病の問題はBSEやCJDにはとどまらないと考えられる。これを自己のタンパク質の構造が変わって起こる神経難病とみなすと、アルツハイマー病、パーキンソン病、筋萎縮性側索硬化症などにもかかわってくる。これらも同様に、自己のタンパク質の構造の変化で起きている可能性が高いのである。プリオン病と同じメカニズムで病気が起きているのかもしれない。プリオン病の研究は、これらの神経難病の原因や治療・予防といった面にもつながるかもしれない。
プリオン病をめぐるさまざまな謎はおそらく尽きることなく、それらの解明の波及効果ははかり知れないものになる可能性がある。二0世紀は微生物学の進展の時代であった。二一世紀はプリオン病研究の進展の時代になるのであろうか。
「ウイルス学事典」(西村書店)
訳者まえがき
本書の第1版がK.E.K. Rowson、T.A.L. ReesとBrian Mahyの3人の共著で出版されたのは1981年である。1980年に天然痘根絶が宣言されたのをきっかけとして感染症への関心が薄らいできた時代でもあった。しかし、その直後にエイズが出現し、90年代にはエボラ出血熱の再発生、ハンタウイルス肺症候群、ウマモービリウイルス(現在はヘンドラウイルスに改名)感染といった新しいウイルス感染症が出現し、ウイルスによる新興・再興感染症対策は国際的にきわめて重要な課題となった。この15年あまりの間に新しく見いだされたウイルスは、ヒト免疫不全ウイルス(エイズウイルス)、C型肝炎ウイルスを初めとして60以上にのぼる。
ウイルスをとりまく状況は著しく変わったのである。このことを反映して、第1版で取り上げられた項目が2100あまりであったのに対して、第2版では80%増の3800あまりとなり、新しい知見が豊富にもりこまれている。
著者のBrian Mahyは米国Centers for Disease Control and Prevention(疾病制圧予防センター)のウイルス・リケッチア病部門長であって、米国におけるウイルス感染対策を初め、世界各地に発生する出血熱など危険なウイルス感染症の対策における最高責任者として活躍している。さらに国際ウイルス学会の会長もかねている。その豊富な知識と高い見識が本書には見事に生かされているのである。
本書を翻訳するきっかけになったのは、1996年春に私がアトランタのBrian Mahyの家に招かれていった際に、彼の書斎に積み上げられていた最終原稿の山を見せられたことであった。たまたま同じ年の秋に日本ウイルス学会での特別講演に彼を招待した学会長の石浜明さんも本書に興味を持ち、共同で翻訳することを計画した。その時点で、第1版の日本語訳が北野忠彦さんにより出版されていたことを知り、3人での共同作業ということになったわけである。
本書の大きな特徴は、単なる辞典ではなく、読み物としても興味のある内容になっている点である。ウイルスの分離や命名にかかわるエピソードなども多く紹介されている。本書が専門家のみならず一般読者にとって、興味あるウイルスの世界の道しるべになるものと期待している。
ところで、著者は読み物としてのスタイルを重視したために一部の用語にはあえて複数を用いている。しかし、我が国の事典では複数でしか用いない用語以外は単数にすることになっているが、著者の意向を尊重して、原文のままにしてある。
諸般の事情で出版までに長い年月がかかってしまい、その間にも新しいウイルスが数多く出現してきた。それらのうち、たとえばニパウイルスのようにとくに社会的に問題になったいくつかのウイルスの項目については、頭に*をつけて、著者の了解のもとに訳者追加として含めてある。
ウイルスの和名については日本ウイルス学会ではとくに定めていない。一部のウイルス名は微生物学用語集に掲載されているので、それを採用している。しかし、微生物学用語集でワクチニアウイルスとされていても一般にはワクシニアウイルスの方がよく用いられているものもある。そのような場合、両方の名称を列記してある。
頻繁に出てくる動物種の和名は世界哺乳類和名辞典(平凡社)と谷津・内田 動物分類名辞典(中山書店)を参考にした。
なお、魚のウイルスの和名については日本大学生物資源科学部の中西照幸博士にいろいろとご指導をいただいた。ここにお礼を申し上げたい。