アンゴラで発生したマールブルグ出血熱
マールブルグ出血熱(これまで、マールブルグ病としてきましたが、WHOはマールブルグ出血熱Marburg haemorrhagic feverと呼んでいるので、そちらの名称に変えました)は、野生動物の輸入により突然先進国で発生した典型的エマージング感染症です。その最大の発生がアフリカ南西部のアンゴラで起こりました。5月末になってどうやら発生数は減ってきたようですが、まだ終息の気配は見られません。これまでの状況をProMedやWHOホームページのニュースをもとに整理してみます。
なお、この発生状況の詳細や国際的制圧活動などについては、「バイオニクス」6月号16−17ページ(オーム社)に記事を掲載しましたので、それもご参照ください。
これまでに発生したマールブルグ出血熱
マールブルグ出血熱の最初の発生は、1967年に西ドイツのマールブルグとフランクフルト、旧ユーゴスラビアのベオグラードの3カ所で、ポリオワクチンの製造や検定にかかわっていた研究所で起こりました。この際の感染源はウガンダから輸入したミドリザルでしたが、ミドリザルはマールブルグウイルスの自然宿主ではなく、ロンドン空港で一緒にされていたアフリカ産の野生動物の中に自然宿主の動物がいて、それから感染を受けたものと考えられています。この3カ所での発生では31名が発病し7名が死亡しました。
なお、この発生は私にとってエマージングウイルスとの最初の出会いとなりました。その際の経験は私の著書、「エマージングウイルスの世紀」(河出書房新社、1997)、「キラーウイルス感染症」(双葉社、2001)、「ウイルスと人間」(岩波書店、2005)に書いてあります。
それから数年後の1975年にローデシア(現在のジンバブエ)でヒッチハイクしていた男性が突然発病し死亡しました。この際、連れの女性と看護にあたった看護婦も発病しましたが、彼女らは回復しました。
1980年と1987年にはケニアのエルゴン山の近くで、それぞれ1名の男性が発病し、死亡しました。1987年の発生例はコウモリの生息する洞窟での感染が疑われたため、コウモリなど洞窟内の動物についての大がかりな調査が行われましたが、自然宿主は明らかにされませんでした。
1998年11月にはコンゴ民主共和国(旧ザイール)の廃棄された金鉱で不法採掘を行っていた人たちの間で発生が起こり、2000年まで続きました。その結果、149名の患者がみつかり、そのうち123名が死亡しました。
この際にもコウモリが自然宿主として疑われましたが、結局、不明のまま終わりました。
アンゴラでの発生
アフリカ南西部のアンゴラで、首都ルアンダの北東約300キロメートルのウイジェ州でマールブルグ病が2004年10月に発生しました。当初は気づかれないまま発生が続いていましたが、2005年になって発生が急激に増加し始めました。
2005年2月、イタリア人女医のマリア・ボニーノ(Maria Bonino)と国連の小児保護専門家マトンド・アレクサンドラ(Matondo Alexandra)がこの発生についてラジオ放送で警告を発しました。この放送により、アンゴラ政府とWHOは事態が深刻なことを初めて理解したのです。ボニーノはアフリカへの医療援助グループであるDoctors with Africa のメンバーとして過去11年間アフリカで働き、この2年間はウイジェ州で医療活動に従事していました。しかし、彼女はマールブルグ出血熱にかかり、死亡してしまいました。
SARSの発生の最初の警告を発し、自らは死亡した、これもイタリア人医師のカルロ・ウルバーニと同じ運命をたどったのです。
一方、アレクサンドラは魔法使いとみなされ、彼の叔母は現地の人々に叩かれたと伝えられています。
3月には死亡者は100名に達しました。3月21日にはCDCによりマールブルグ出血熱の診断が確定しました。そして翌日、アンゴラ政府はWHOに救援を要請したのです。
発生はその後も増加を続けており、5月26日付けのアンゴラ保健省の発表では患者数は399名、そのうち死亡者は335名になっています。大部分がウイジェ州で起きており、ここでの患者数は388名、死亡者は324名です。
当初、首都ルアンダへの広がりが心配されましが、これまでのところウイジェで感染してルアンダで発病した人が数名いるだけで、ここでは広がっていません。
アンゴラでの大発生の背景
アンゴラでのマールブルグ出血熱は、コンゴ民主共和国での発生を上回る過去最大のものになりました。とくに注目されているのは、5歳以下の子供での発生が全体の75%を占めている点です。コンゴ民主共和国の発生では平均28歳であったことと対照的です。子供に多く発生している理由は分かっていません。
発生の広がりの原因は、破綻した公衆衛生基盤と考えられています。最貧国のひとつであるアンゴラでは2002年まで27年間にわたって内戦が続きました。その結果、医療環境は最悪の状態になっています。医師の不足、注射器の使い回しなどがウイルスの伝播を促進しているものと考えられます。
多くの人々は昔からの伝統的治療者を訪れ、そこでマールブルグ出血熱に効くという正体不明の薬を注射され、そこでも注射器の使い回しが行われています。
死者との別れで洗ったりキスをしたりする習慣で、患者の体液に触れることも感染の広がりの原因になっています。しかし、その習慣を止めさせるのは容易ではありません。国際医療チームは投石されたりしましたが、だんだん理解が得られてきたようです。
伝統的治療者も最近ではマスクや手袋をして感染防止を行うようになり、宗教指導者や赤十字による教育活動も効果が上がり始めているようです。