全頭検査こそ合理的:プルシナーとの対談
本講座173回で科学11月号のBSE特集をご紹介しました。今回、岩波書店科学編集部の了解が得られましたので、その中のプルシナーとの対談の記事全文を転載します。
「全頭検査こそ合理的──手放さずそれを世界に広げるべきだ」
スタンレイ・B. プルシナー(カリフォルニア大学サンフランシスコ校教授)
山内一也(東京大学名誉教授)
科学11月号 p. 1102-1104, 2006より転載
全頭検査こそ合理的
- 筆者(プルシナー、以下筆者P)は,ここ何年にもわたって主張し続けていますが,米国※1でも世界のどの国でも,BSE対策として唯一「合理的」な方策は,と畜される「すべての」牛について,BSE検査することだと考えています.
(脚注)※1米国では牛のBSE全頭検査は行われていない.
- ところでその方策は輸入牛肉については適用されていません.オーストラリアやニュージーランドといった,いわゆるBSEの「清浄国」からは輸入を続けているわけです.
ここで筆者の考えを述べれば,多くの人の考えとは異なるでしょうが,BSEの「清浄国」なるものは存在しないのではないか,と思います.BSEが発見されるかどうか,それは時間と検査の問題でしょう.
米国の牛肉生産者の中には,日本市場向けにはBSEの全頭検査を行いたいと言っているところもあります.しかし,それが許されていません.米国農務省が法律にもとづいて,どのような検査を行うか決めているのですが,そういう申請は拒否されているのです.真の理由はわかりません.ただ,大規模な生産者や処理業者は反対しています.それは結局,利益が下がると考えているからでしょう.
これは恐るべき近視眼と言わざるを得ません.筆者Pはかねて,この種の人々に何度も話をしましたが,聞く耳をもちません.
筆者Pはここ数年間ずっと,米国でと畜され人の口に入る牛肉について,すべて検査すべきだと主張してきましたが,これまでのところ聞き入れてもらえていません.
プリオン病の基本に立ち返って考える
- ここでプリオン病の基本をおさらいしておきます.
プリオン病は感染性の蛋白質がその主体です.ウイルスは,DNAやRNAなどの核酸をもちますが,核酸をもたないという点でウイルスとはまったく異なっています.
哺乳動物はみな,正常型のプリオン蛋白質をもっています.そして異常型のプリオン蛋白質※2が,正常型に結合し,立体構造を変化させて異常型が増殖する──これが増殖のストーリーです.筆者Pらがすでに発表済みですが,正常型プリオン蛋白質を試験管内で,感染性のものに変換することができました※3.この点で疑問はなくなりました.
(脚注)
※2 異常型プリオン蛋白質の起源については不明.BSEについても,どのように広がったのかについては推測されているが,大本の起源はやはりわからない.
※3 G. Legname et al.: Science, 305, 589 (2004)
そしてよく知られているように,異常型プリオン蛋白質は「極度に」不活性化されにくい.つまり,病気が広がりやすいという性質があります.
すべての哺乳動物は正常型のプリオンをもっているわけですが,そのため自然にプリオン病にかかることがあります.何らかの理由で,突発的に異常型プリオン蛋白質が生じるわけです.その率は,人の場合で100万人に1〜5人程度です.すべての哺乳類は,こうした自然発症の(孤発性の)プリオン病にかかる可能性があります.
つまり,飼料にあらゆる努力を払ったとしても,プリオン病,BSEが発生することがありえるのです.そして,治療法について懸命な研究が行われていますが,プリオン病の根本的な治療法は残念ながらまだありません.
日本の場合,400万頭の牛から,20症例以上が生じる可能性があります.多くの人はもっと少ないと思っているのではないでしょうか.日本の場合に,どの程度が飼料に由来するBSEなのか,どの程度が孤発性のものなのかはわかりません.それを区別することは難しいでしょう.
仮に,20例すべてが孤発性だとすると,その発症率は100万分の5となります.
人のプリオン病では,変異型クロイツフェルト−ヤコブ病(変異型CJD)がBSEに由来するとされ、他の人に伝播することがあり得ます.輸血,移植などを通じた伝播がおこり得ます.これも重要な点です.
子どもの場合はとくに心配です.子どもたちは長い人生をこれから歩みます.その間に,摂取してしまったプリオンが増殖して蓄積し、症状が現れることが十分考えられます.消費者はどこの産地の牛肉なのか,よく吟味するのが賢明です.しかし,加工品の場合明らかでないこともあり,それにも限度がある.これは政府の責任だと思いますが,産地の表示をしっかりする必要があるでしょう.
プリオン病は,神経変性疾患の1つです.神経変性疾患としてよく知られているものはほかに,アルツハイマー病,パーキンソン病,ALS(筋萎縮性側索硬化症)があります.これらは共通して,脳に異常蛋白質が蓄積するという特徴があります.
じつは近年,パーキンソン病と診断されてアルツハイマー病の症候(つまりアミロイド蛋白質の蓄積)が脳にある例,あるいは,プリオン病と診断されてアルツハイマー病の症候がある例が見つかっています.これは,あるのかないのかわかりませんが,課題として,こうした神経変性疾患の相互関係をつかむことが大切だと考えています.調べてみれば,その心配は杞憂だったということもあるでしょうが,今はまだ,わかっていることが少ないのです.
杞憂かもしれませんが,プリオンが他の神経変性疾患の発症に及ぼす影響があるのかどうか──それはわかりませんが,わからないときにとるべきことは,異常型プリオンを断つことでしょう.
検査と月齢
- 可能なかぎりの検査手段を用いて,異常型プリオン蛋白質の蓄積部位、すなわち特定危険部位(SRM)の除去が行われてはいます.しかしながらわれわれは,感染性のプリオン蛋白質が存在しているSRMを「すべて」把握できてはいないのです(本特集の横山氏の解説参照).このことも,慎重に考えなければならない要素です.
BSE検査について,20カ月齢以下は不要との論議があります.しかしその線引きは合理的とは言えないでしょう.20カ月齢の牛には異常型プリオン蛋白質がなく,21カ月齢ならばあるのだと,どうして言えるでしょうか.これは合理的ではないでしょう.いわば願望であって科学にもとづくものとは言えません.
そもそも,20カ月齢の線引きの問題については,そのこと自体にわれわれ科学者は反対しています.米国農務省はそれを30カ月齢に引き上げるよう圧力をかけています.国際獣疫事務局(OIE)の定める国際基準で30カ月齢という数値が出されているためです.しかし, 20カ月齢の線引きと同様,29カ月齢だから安全で30カ月齢だから危険だというのもナンセンスです.
消費者の願いから未来へ
- これは根拠があるわけではなく筆者Pの印象ですが,米国の消費者の10人中9人は,BSE検査がなされていると思っている節があります.政府がしっかり守ってくれていると思っているのではないかと感じられます.
これはまったく個人的な感想,科学にもとづくものではない予測ですが,結局は,それがいつかはわかりませんが,米国において自発的に検査が行われるようになるのではないかと思います.つまり,生産者が自分たちの牛肉を検査してもらいたいと決断するだろうということです.この動きは消費者にも伝わるでしょう.そうなれば,世界中の検査方針が変わるだろうと思います.「BSE検査済み」の表示を競って,消費者もそれを支えるという循環が,世界中に広がるだろうと期待しています.
筆者はかつて日本での食品安全に関する会合に招聘されたことがありますが,日本の消費者の知識レベルの高さが非常に印象に残っています.日本の消費者は,ヨーロッパや米国,オーストラリアと比べて,情報量が豊富で,その点で,世界中が見習うべきだと思います.日本の消費者は,政府に合理的な政策をとるように働きかけ続けるべきです.
筆者(山内)はプリオン専門調査会での議論から,消費者とリスクについてコミュニケーションをとること,リスクについて理解してもらうようにすることが大切だと感じました.加えて,消費者の考えを汲み取ること,2方向のコミュニケーションにすることが今後の課題と感じました.
会合に参加するような方は大変意識が高く,知識も豊富です.一方で日本のマスメディアは米国産牛肉輸入再開につながるような面しか報道しようとしない.これはもう一つの問題です.
誰も異常型プリオン蛋白質を食べたいとは思わないでしょう.筆者Pはよく,こんなスライドを聴衆にお見せして尋ねます.スーパーで2種類の牛肉が並べてあり,一方は検査済み,もう一方は未検査とします.その差が重量1ポンドあたりたった3,4セントだとしたら,未検査のものを買いますか,それとも検査済みのものを買いますか,そう問うのです.筆者Pは続けて,「未検査の牛肉を買うのは,農務省やホワイトハウスのお偉い方,それに大規模処理業者だけじゃないでしょうか.彼らの連れ合いだって,子どもや孫に食べさせようとは思わないでしょう」と言っています.
人々が望んでいることと,置かれている状況は,まったく違ってしまっていると思います.
プリオンの科学はまだ20年あまりに過ぎません。これから多くのことを学ばなければなりません。しかし、私たちはプリオンへの暴露を最小限度にする方法を知っています。私たちは潜伏期が5年から50年にも達する病気に取り組んでいるのですから、できる限りの対策を行わなければなりません。
全頭検査は,どういった種類のBSEであろうと──飼料を経由して広まったものでも,自然発生のものでも──,それらからわれわれを守ってくれるのです.
(NHKラジオジャパンの番組“Japan & the World 44 minutes”(2006年1月9日に放送された対談)における収録から編集部で再構成しました)