人獣共通感染症 第23回 11/9/95
ボルナ病の最近の進展


 ボルナ病は主に馬と羊がかかるウイルス性の脳炎です。歴史的には250年以上前からドイツでの流行が見つかっていました。最初に馬の脳炎として臨床像が記載されたのは1813年です。ボルナ病の名前は1894年と1896年にライプチヒの南のサクソニイ地方のボルナで主として騎兵隊の馬で流行が度々起きたことで、その際に付けられました。中央ヨーロッパでは馬と羊に散発しており、1976年にはスイスでの発生が報告されています。
 潜伏期は数週間から数か月といわれています。馬のほかのウイルス性脳炎は一般に短い潜伏期で発病する急性のものです。たとえばトガウイルス・グループのウイルスによる東部馬脳炎、西部馬脳炎、ベネズエラ馬脳炎では2、3日から3週間位です。この点が大きな違いといえます。区典型的な症状は髄膜炎で、興奮、無動、けいれん、麻痺などが主な症状です。致死率は37から94%といわれています。
 ボルナ病がウイルスによるらしいということは1927年に病理組織検査の結果から提唱されました。神経細胞の周辺に炎症細胞が集まり、核内には好酸性封入体がみつかります。これらはウイルス性脳炎に特徴的なものです。しかし、ウイルス分離が困難で、ウイルスの性状についての研究は進んでいません。人や種々の動物の胎児の脳細胞では増殖しますが、細胞変性効果はみられず、増殖の有無はウイルス抗原の検出に依存しています。
 蛍光抗体法で調べた結果ではウイルス抗原は脳内に検出されます。自然感染ルートとみなされる鼻からの実験感染ではウイルスはニューロンのレセプターから神経の軸索に沿って脳に到達することが示されています。
 ボルナ病ウイルスの実験感染は種々の動物で行われてきました。ニワトリからサルにいたるまで多種の動物で感染が起こることが示されています。実験モデルとして一番注目されているのはラットです。この研究を組織的に行ったのは岩手大学農学部の平野紀夫先生です。1980年前後だったと思いますが、ドイツのギーセン大学ウイルス研究所でボルナ病の研究の中心になっていたルードビッヒHanns Ludwig博士が教授となってベルリン自由大学に移った際に日本から留学して、この研究にたずさわりました。そして条件次第で致死的な急性脳炎から慢性脳炎とさまざまな病態を示すこと、時には症状を示さず、一生ウイルスの持続感染を起こすことが明らかにされました。とくに症状が見られないラットで学習能力の低下がみられる点が注目されます。彼の論文は1983年に発表されました。丁度、同じ時に米国のナラヤンNarayan教授のグループからも同様の報告がだされました。まったくの偶然だそうです。
 1970年代のボルナウイルスの実験感染ではツパイでの成績がとくに関心をもたれていました。ツパイは原猿類の動物で一応、原始的なサルということになっていますが、形はむしろネズミに近く、学者によっては食虫類(モグラやスンクスが属します)に入れることもあります。ボルナウイルスに感染したツパイで行動異常が見られたことから、精神病にかかわるのではないかという疑いがここで生まれました。当時まだギーセン大学におられたルードビッヒ博士からこの可能性を熱心に説明されたことを今でも覚えています。彼からはその病理標本と蛍光抗体法のスライドを送っていただき、スローウイルス感染の講義などに大分利用させていただきました。ボルナ病は長い潜伏期や病気の進行状態などからスローウイルス感染のひとつとみなされ、1977年にビュルツブルグ大学のテルモイレンVolker ter Meulen教授らがまとめた「中枢神経系のスローウイルス感染」という本でも大きく取り上げられました。
 ボルナウイルスはツパイだけでなく、アカゲザルでも実験感染でブドウ膜脳炎を起こすことが明らかにされました。そして、1985年には同じギーセン大学のロットRudolf Rott教授のグループが精神病患者の血清中にボルナウイルス抗体の存在することを発表しました。1991年に彼らがまとめた成績ではドイツ、米国、日本の計5、000人以上の精神病患者の血清で、4ー7%が抗体陽性となっています。
 ルードビッヒらは昨年ドイツのふたつの地域で計9頭の牛でボルナウイルスによる脳炎を報告しています。そのうちの6頭は南ドイツのニュールンベルグからのもので、ここは馬と羊のボルナ病が存在している地域です。残りの3頭は東ドイツからで、ここではボルナ病の流行はありません。
 この際にはウイルス抗原は脳内だけでなく末梢血から分離した白血球にも検出されました。しかも発病した牛と密接な接触のあった健康な牛でも検出されました。同じ頃、スイスでも2例のボルナ病の牛が報告されました。
 これらの結果から、無症状のキャリアーの牛がウイルスの伝播を起こす危険性と、さらに牛由来の医薬品の安全性の面からの検討が必要かもしれないと警告しています。
 猫に散発性非化膿性髄膜脳炎(staggering diseaseよろよろ病とでも訳すのでしょうか)という病気があります。この場合には主に脳幹と大脳辺縁系に炎症がみられます。辺縁系は大脳のなかで情動行動などにかかわっている場所です。ルードビッヒらは1988年によろよろ病の猫の症状がボルナ病に似ていることを指摘しています。また、ドイツの猫での抗体調査でいろいろな神経疾患の猫で13%がボルナウイルス抗体陽性であることを報告しています。よろよろ病の猫にボルナウイルス抗体が存在することはオーストリアの猫でも報告されました。そして、最近、彼らはドイツのよろよろ病の猫からボルナウイルス様のウイルスを分離し、これが猫のボルナウイルスではないかと報告しています。人に感染を起こすボルナウイルスの宿主が分かっていないことから、人と密接な関係のある伴侶動物である猫の意義が問題になるであろうと指摘しています。
 ボルナウイルスは実験的にはニワトリにも感染を起こすことが示されていますが、イスラエルではダチョウからのボルナウイルスの分離が報告されています。1989年から1992年にかけてイスラエルではダチョウが麻痺を起こして立てなくなって死亡する例が相次ぎ、最悪の例では全部で1331羽の孵化したダチョウのうち486羽が3か月令までに死亡し、そのうち181羽は麻痺を起こしていました。脳の組織をベルリンのルードビッヒ教授(コッホ研究所、ボルナ病レファレンスラボラトリイの所長だそうです)に送って調べてみてもらった結果、病気のダチョウ13羽中7羽にボルナウイルス抗原が見つかりました。さらにウイルスも分離されました。
 最近、日本でも北大の生田和良教授のグループは日本の健康な馬57頭の白血球についてポリメラーゼ・チェーン反応で調べた結果、15頭が陽性という成績を論文発表されています。また、飼い猫、人(健常者、精神分裂病患者)でボルナウイルス抗体や白血球の中のボルナウイルス遺伝子の存在を学会で発表されています。先日、岡山で開かれた日本ウイルス学会では生田教授のグループをはじめいくつかの研究グループが精神病、慢性疲労症候群などの人について、ボルナウイルス遺伝子や抗体検出の試みを発表されていました。昨年のウイルス学会ではボルナウイルスの演題はゼロだったことを考えると、急速に日本でもボルナ病への関心が高まってきたことがうかがえます。昨年6月にウイルスの病原性に関する日独合同シンポジウムが静岡県の日本平で開かれた際に、ボルナウイルスの研究を活発に行っておられるギーセン大学ウイルス研究所のロット教授とシュテイッツLothar Stitz教授が来日されたのも刺激になったのかもしれません。
 このように、ドイツなど限られた地域の病気と考えられていたボルナ病が全世界に存在していることが、かなり明らかになってきました。また人を含めた種々の動物にボルナウイルスが感染していることも明らかになりつつあります。これらのウイルスが同じものか、それとも同じグループではあってもそれぞれの動物に特有の別のウイルスかははっきりしていません。しかし、もしも牛や猫に感染を起こしているウイルスが人への感染の原因になっているとしたら、まさに人獣共通感染症としてきわめて重大なことになります。これからの研究の進展に注目したいと思います。

Kazuya Yamanouchi (山内一也)



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