人獣共通感染症 第67回
ウイルスおよびプリオンに関する最近の書籍
霊長類フォーラム:人獣共通感染症(第67回)9/19/98
- Viruses, plagues and infections(ウイルス、疫病、感染)
マイケル・オールドストーンMichael B. A. Oldstone著 Oxford University Press, 1998
オールドストーンの名前はウイルス研究者であれば知らない人はいないでしょう。リンパ球性脈絡髄膜炎ウイルスをはじめ最近では麻疹ウイルスも含めて、ウイルス感染の発病機構では第一人者として数十年にわたって活躍しています。現在はサンデイエゴにあるスクリップス研究所のウイルス研究部長でWHOの麻疹とポリオ根絶計画委員会のメンバーもつとめています。
本書は彼の幅広い知識と経験にもとずいて一般向けに書かれたウイルス感染の歴史の解説書です。ウイルス学の成果としての天然痘、黄熱、麻疹、ポリオとの戦い、現在および将来への挑戦としてラッサ、エボラなどのウイルス性出血熱、ハンタウイルス、エイズ、プリオン病、そしてインフルエンザが取り上げられています。 私にとって興味のあったのは黄熱です。18世紀の終わりに米国フィラデルフィアで起きた黄熱はまさにエマージングウイルスそのものです。その後の米国での黄熱の流行の状況も簡潔に紹介されています。たまたまScientific American(日本語版は日経サイエンス)の8月号に1793年のフィラデルフィアでの黄熱の話題が載っていますので、本書と合わせて読むと経緯がよく分かります。さらに黄熱が蚊から媒介されることを明らかにしたウオルター・リードの調査研究が非常にくわしく紹介されています。
学会では彼の話を聞く機会はしばしばありましたが、歴史的な側面も含めたウイルス感染についての深い理解が彼の研究を支えていることをあらためて感じさせられました。
世界のウイルス研究をリードしてきている著者ならではの本だと思います。なお、本書には歴史的に有名な写真をはじめ、興味ある写真も多く掲載されています。
- The trembling mountain. A personal account of kuru, cannibals, and mad c ow disease.
(震える山。クールー、食人、狂牛病についての個人的物語)
ロバート・クリッツマンRobert Klitzman著 Plenum Press,1998
著者はコロンビア大学の精神科医です。カレッジを卒業した頃、何を目指すかはっきりしなかった彼は人間性についての興味と、もう一方で精神医学に漠然とした興味を持っていたそうです。そして夏休みに医学研究について学ぶために国立衛生研究所NIHで夏休みアルバイトをすることになり、連れていかれた先がクールーの研究でノーベル賞を受賞していたガイドユセックのところでした。ここでクールーのことを初めて耳にしたのです。ガイドユセックに何か興味のあることをしてみたいとは思わないかといわれ、どのようなことですかと問い直したところ、ニューギニアに行ってみないかといわれ、何をするのか分からないままOKをしたのが始まりでした。 1981年正月に彼はひとりでニューギニアに行き、クールーの患者の追跡調査を始めました。本書はその際の詳細な物語です。患者を探し出し、周辺の人たちの状況を調べるといった、実際にクールーの起きた地域での調査を精力的に行った貴重な体験談です。医学的な内容というよりも未開の人たちの世界の旅行記ともいえますが、これまでのガイドユセックのレビューには書かれていない、クールーの発生の文化人類学的な背景は、本書を通じてよく分かると思います。
- 死の病原体プリオン、草思社1998
リチャード・ローズRichard Rhodes著
これは以前に本講座(第53回)でご紹介した死の饗宴Deadly feastsの日本語訳です。この本の書評を北海道新聞(9月6日)に書きましたので転載します。
「英国では狂牛病(正式にはウシ海綿状脳症)が人に感染して新型クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)を起こした証拠が蓄積してきている。日本では硬膜移植による感染が疑われているCJD患者が多数見いだされている。これらは一般にプリオン病と総称されるが、伝達性海綿状脳症とも呼ばれる。米国のガイドユセックは1950年代にニューギニアで見いだされた奇病クールーが新しい神経疾患であり、チンパンジーへ脳内接種で病気を伝達しうることを証明し、さらにクールーはCJDが人食の儀式で広がった可能性を明らかにした。ここで伝達性海綿状脳症の概念が生まれ、彼はノーベル賞を受賞した。
ガイドユセックは天才であり、一方でエキセントリックな性格でも有名である。ウイルス学、小児科学、神経学、さらには人類学にも精通していて、その膨大な知識が、ピューリッツア賞受賞者であるリチャード・ローズの筆でエキセントリックな側面まで含めた迫力あるノンフィクションとなっている。一方で専門的な研究の内容が正確かつ、素人にも理解できるように平易な表現で述べられており、プリオン病のすぐれた解説書にもなっている。
本書全体をつらぬくテーマは、原題のDeadly feasts(死の饗宴)である。死の饗宴はクールーにとどまらず、家畜のくず肉を餌として家畜にリサイクルする近代畜産から生じた狂牛病、狂牛病から起きた新型CJD、さらに、近代医療技術により起きた医原性CJDにもつながる。まさに文明と科学に関する重大な問題提起といえよう。しかし、問題解決のための展望について、著者は何も語っていない。現実には著者が痛烈に批判している、もうひとりのノーベル賞受賞者プルシナーが提唱した、感染性の蛋白が病原体であるというプリオン説が、その解決につながるものと期待されているのであるが。」
800字という字数制限で書きたいことがあまり書けませんでしたので若干、補足します。まず、タイトルの死の病原体プリオンは商業主義にもとずいたタイトルと思います。著者の意図はあくまでも人為的な「死の饗宴」というとらえ方です。 ガイドユセックの話は私も何回か聞いたことがあります。彼を交えた5ー6名でハイデルベルグのビアホールで、彼の独演を明け方まで聞かされたこともあります。本書を読んで彼の独特の個性が反映されていることを感じさせられました。 本書で述べられている研究内容は科学的に正確です。リチャード・ローズの娘は生化学研究者だそうで、娘婿はウイルス研究者で今年の春のCDCのシンポジウムに出席していました。これらの人の協力もあったことと思います。しかし、研究の経緯の評価はガイドユセックに偏っており、現在のプリオン研究に多大の貢献をしたプルシナーへの中傷が目立ちます。
私の見解は蛋白質・核酸・酵素の1998年1月号に「プリオン説の展開とウシ海綿状脳症(狂牛病)」と「Stanley B. Prusiner 博士ー1997年度ノーベル医学・生理学賞に寄せてー」にまとめてあります。 なお、1点だけ追加しておきたいと思います。本書ではガイドユセックの結晶説を強調していますが、ガイドユセックはもともとプリオン説に反対で、途中からプリオン説を取り入れた結晶説を提唱しはじめたのです。この説は、根拠はなく、1990年にベルリンでの国際ウイルス学会のプレナリーセッションで彼がこの説を強調した際にも反響はありませんでした。プルシナーのヘテロダイマー説に対するものとしては結晶説ではなく、米国のランズベリーLansburyの提唱した核依存重合説が現在では多くの人に受け入れられています。ランズベリーの説は内容的には結晶説に非常に近いものですが、試験管内の実験成績から提唱されたものです。どちらもプリオンを病原体とみなしている点は同じで、プリオン蛋白の増殖機構の面での意見の相違です。
- Mad cow U.S.A. Could the nightmare happen here?(狂牛病と米国。悪夢は米国で起こるか?)
シェルドン・ランプトン、ジョン・スタウバーSheldon Rampton & John Stauber著 Common Courage Press, 1997
著者はいずれもジャーナリストで、さすがに豊富な資料をよく整理してあります。狂牛病さわぎの背景から現在、さらに将来の問題を具体的な資料にもとづいて科学、行政、経済など、多面的に解説しています。物語というよりもニュースの大特集号として、この問題に関心のある人には役立つと思います。
連続講座:人獣共通感染症へ