人獣共通感染症 第87回
ニューヨークのウエストナイル熱(西ナイル熱)


霊長類フォーラム:人獣共通感染症(第87回)10/23/99

ニューヨークのウエストナイル熱(西ナイル熱)

 ニューヨークでの西ナイル熱の患者の発生が新しいエマージング感染症として新聞 などで伝えられています。ところで、この原因ウイルスの名前は後で述べるように分 離された場所であるウガンダのウエストナイル州の名前に由来します。ウエストナイ ルは固有名詞ですので西ナイルは不適当と思います。ウイルス学会ではウエストナイ ルウイルスの名前が定着しています。
 ニューヨークでは9月初めから脳炎の患者が発生し、これまでにすくなくとも6人 が死亡し55人が発病したと伝えられています。また、ニューヨークのロングアイラ ンドで1頭の馬が死亡し10頭が発病したことが最近報告されています。
 この原因ウイルスはまだ確定されていません。ウエストナイルウイルスもしくはク ンジンウイルスのいずれかではないかと推測されることから現時点では、ウエストナ イル様ウイルスと呼ばれています。その背景について、CDCの感染症情報(Morbidity and Mortality Weekly Report)の10月1日号、サイエンス10月9日号およびラ ンセット10月8日号、ProMEDなどを参考にして、解説してみようと思います。

  1. 発生の経緯
     今回の問題は8月23日にニューヨーク市の感染症専門医がニューヨーク公衆衛生 局に2名の脳炎患者を報告したことで始まりました。公衆衛生局で調査した結果6名 の集団発生が見つかり、CDCがこれら8名の血清と髄液を、北米に存在する種々のア ルボウイルス(節足動物の媒介するウイルス)抗原を用いて酵素抗体法(ELISA)で 調べたところセントルイス脳炎ウイルスに対するIgM抗体が検出されました。ウイル ス感染で最初にIgM抗体が出現しますが、これは数週間で消失します。IgM抗体より1 −2週間遅れてIgG抗体が出現しますが、これは数年間から時には一生続きます。し たがってIgM抗体の存在はごく最近起きた感染の証拠になります。その結果、CDCはセ ントルイス脳炎の発生と発表したわけです。
     セントルイス脳炎は名前のとおり、モンタナ州セントルイスで1933年に最初に 見つかったもので、この際には少なくとも200名が死亡しました。米国南東部に地 方病として存在しています。ニューヨークで発生したことはありませんでしたが、な んらかの理由でウイルスがニューヨークまで北上したと考えたのです。
     セントルイス脳炎ウイルスは鳥に感染していて、蚊が媒介して人に感染を起こしま す。セントルイス脳炎が発生したという発表で、患者が住んでいるニューヨークの北 クイーンズ地域と南ブロンクス地域で殺虫剤の散布が9月初めに開始されました。9 月初めにはニューヨーク市にこの脳炎に関する質問と殺虫剤散布の申し込みのための 緊急電話ホットラインが設けられ、9月末までには約13万本の電話がかかってきま した。
     一方、ニューヨークのブロンクス動物園の周辺では7月末から多数のカラスが死ん でいるのがみつかり、8月までに死亡したカラスの数は40羽に達していました。こ のカラスの死亡に引き続いて、8月初めから9月の第1週にかけてこの動物園では鵜 、フラミンゴ、アジア産キジの1種のジュケイやハゲワシが死んでいるのが見つかり 、解剖の結果、脳炎と心筋炎の病変が認められました。そこでこれらのサンプルはア イオワのエイムスにある農務省国立獣医学研究所に送られ、ここで鳥類のウイルスと 馬脳炎ウイルスについての検査が行われましたが、すべて陰性でした。
     同じ頃、カリフォルニア大学アーヴィン校エマージング感染症研究部のイアン・リ プキンIan Lipkin部長のところにニューヨーク州公衆衛生局から患者のサンプルが送 られていました。そこでの検査の結果、セントルイス脳炎ウイルスではなくウエスト ナイルウイルスかクンジンウイルスKunjin virusに非常に近いことが明らかにされま した。
     一方、前述の国立獣医学研究所では検査した鳥の材料から孵化鶏卵とウサギ腎臓細 胞でウイルスが分離されたために、9月20日にCDCのフォートコリンズ支所に分離 ウイルスの検査を依頼しました。CDCでポリメラーゼ・チェーン反応で調べた結果、 このウイルスはセントルイス脳炎ウイルスではなく、ウエストナイルウイルスに非常 に近いものであるということ、さらに死亡した1名の脳炎患者の脳でもウエストナイ ルウイルスの存在を見いだし、その結果を9月24日に発表しました。ここでリプキ ンの成績が確認され、ウエストナイルウイルスまたはクンジンウイルスに近いウイル スによる脳炎の発生であるという判断になったわけです。

  2. 原因ウイルス
     ウエストナイルウイルス、クンジンウイルス、セントルイス脳炎ウイルスはいずれ もフラビウイルス科、フラビウイルス属のRNAウイルスで、日本脳炎ウイルス血清群 に分類されています。これらはいずれも抗原的に近縁であるため、抗体検査だけでは 区別は容易ではなく今回のようにウイルスの遺伝子配列から初めて、ウエストナイル 様ウイルスであることが明らかになったわけです。
     ウエストナイルウイルスは1937年にウガンダのウエストナイル州で初めて分離 されて、この名前が付けられました。最初の流行は1950−54にイスラエルで起 こりました。50年代にはエジプトで熱病の子供の血液とカラスからウイルスが分離 されました。1962年にはフランスのローヌ河のデルタ地域で発生しました。最大 の流行は1974年に南アフリカで起きたものです。最近では1996年にはルーマ ニアの首都ブカレストを中心に発生し、251名の患者が確認されました。その際の 致死率は4−8%でした。そのほかチェコ共和国、ポルトガル、クロアチア、キプロ ス、旧ソ連などで発生しています。
     しかし、これまで米国を含めて西半球でウイルスが分離されたことはまったくあり ません。ウエストナイルウイルスが米国で分離されたことは関係者にとって大変な驚 きでした。CDCの特殊病原部長のC.J.ピータースは、「もしも(アメリカで)蹄の音 が聞こえれば馬を想像するだろう。誰も縞馬とは思わないだろう」と述べたとか。
      一方、クンジンウイルスはオーストラリアのクイーンズランドでイエカの1種Cu lex annulirostrisから分離されました。その後ボルネオとサラワクでも分離されて います。人では発疹と脳炎を起こしますが、死亡例は報告されていません。
     ウエストナイルウイルスとクンジンウイルスは非常によく似ています。たとえば、 1996にルーマニアで分離されたウエストナイルウイルスはしばらくの間、クンジ ンウイルスとみなされていて、CDCが遺伝子解析をした結果、ウエストナイルウイル スであることが分かったといういきさつもあります。
     オーストラリアで最初に分離されたクンジンウイルスは、ウエストナイルウイルス がオーストラリアに侵入して、そこの蚊や動物の体内で選択された結果、生じたもの という説もあります。
     いずれも鳥が宿主になっていて、蚊が感染を伝播します。主にイエカの種類の蚊が 媒介しますが、ヤブカやハマダラカも媒介します。したがって、最初CDCがセントル イス脳炎と考えて殺虫剤散布を行ったことは、ウエストナイルウイルス、クンジンウ イルスのいずれであっても妥当ということになります。
     しかし、ウエストナイルかクンジンかということは、両ウイルスの流行地域が非常 に異なることから、このウイルスがどこから来たのかということを知るためには大変 重要です。リプキンによれば、分離ウイルスの核酸の相同性はクンジンウイルスと8 6−87%、ウエストナイルウイルスとは80−82%だそうです。
     このように非常によく似ているウイルスではウイルスゲノム全部の遺伝子構造を調 べる必要があります。この研究は現在、最初にセントルイス脳炎ウイルスを否定した カリフォルニア大学のリプキンのグループとCDCの競争のようです。
     最近、リプキンはProMEDに自分たちのポリメラーゼチェーン反応の実験条件の詳細 をProMEDに発表しました。競争の激しい研究社会でこのような発表は非常に珍しいこ とです。元CDC特殊病原部で、現在リヨンのP4実験室所長のスーザン・フィッシャー ホックはすばらしいことだと賞賛しています。

  3. 社会的側面
     ウエストナイル様ウイルスがどうしてニューヨークに運ばれてきたのかが大きな問 題ですが、これには密輸されてきた野鳥、渡り鳥のいずれかがかかわっていると疑わ れています。しかし、渡り鳥はおそらく米国に着く前に死んでしまうだろうといわれ ており、密輸の鳥が注目されています。
     野生動物の密輸は麻薬密輸につぐ大きな利益をあげているといわれ、とくに野鳥の 密輸に対して米国は1992年に野鳥保護法を制定しました。これにより、オウム類 とその他ワシントン条約で保護されている野鳥の輸入は、許可された地域で繁殖され たものなど一部を除いてすべて禁止されています。
     許可されて米国に輸入される野鳥に対しては、CDCの指定した機関での30日間の 検疫が義務づけられています。しかし、密輸される野鳥はここをすりぬけています。 野鳥保護法が制定される以前、たとえば1990年には15万羽が輸入されていまし た。現在でもアフリカの野鳥が輸入許可国を経由することで、原産国がごまかされて かなり多数が輸入されていると疑われています。
     なお、ご参考までに、日本にはオウム、インコなどの野鳥が年間推定60万羽くら い輸入されています。しかし新しい感染症予防法になっても野鳥は検疫の対象に入っ ていません。これからもまったくの野放しです。
     一方、ウイルスは蚊の体内で増殖し人への感染を伝播します。ニューヨークの空港 からの飛行機の機内にまぎれこんでいた蚊がほかの国にウイルスを持ち込むおそれは ないかということも問題になっています。ニューヨークを出発後に航空機内で殺虫剤 を撒いているのかどうかといった質問がProMEDの司会者のところに届いているそうで す。
     そういえば、昔は海外から羽田空港に帰ってくると、到着直前にスチュワーデスが 機内に殺虫剤を撒いているのをしばしば見かけました。これは日本国内に外国からの 蚊が入りこまないためのものでした。もっとも気休め程度の撒き方でしたので、役に たっていたのかどうかは疑問でした。最近ではまったく見かけません。
     ニューヨークでは冬に向かい、蚊は居なくなります。そこでこの流行は一段落する ものと期待されています。しかし、もしも密輸の鳥などがフロリダのように暖かくて 一年中蚊が生息する地域にウイルスを持ち込むと、地方病として定着してしまうおそ れがあります。


Kazuya Yamanouchi (山内一也)



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