人獣共通感染症 第99回追加
口蹄疫は人に感染するか

霊長類フォーラム:人獣共通感染症(第99回追加)6/6/00

口蹄疫は人に感染するか。

この話題について藤倉孝夫先生から、人獣共通感染症としての口蹄疫について、一層 の理解と認識を持つべきである
とのご指摘をいただきました。藤倉先生はWHOの獣医公衆衛生局Veterinary Public Health Serviceに長年勤務されて、WHOでの人獣共通感染症対策の第一線で活躍されていた方 です。私は時折、国際会議で 先生がWHOを代表されて講演されたのを聞いたことがあります。 ご指摘の内容は以下の3つの報告と藤倉先生のコメントから成っています。藤倉先生 のご了解を得て、ご指摘の全文 をご紹介します。

(1) Pan American Health Organization (PAHO: 汎米保健機構)の出版物
 PAHOはWorld Health Organization Regional Office for Americas (WHOアメリカ地域事務局、AMROと略称)を兼ねており、伝統的に口蹄疫をはじめ、ブ ルセラ病、狂犬病、結核(牛 型)などの人獣共通感染症の防除対策や研究領域での事業を通して家畜疾病の診断、 防疫、ワクチンの製造、疾病防 除、畜産食品の衛生・安全性などの分野でも広範な活動を展開してきている組織であ る。

Pedro N. Acha, Bris Szyfres, ed.: Zoonoses and Communicable Diseases Common to Man and Animals, Second ed., p344-345, Pan American Health Organization, Washington DC, USA (1987)
人は口蹄疫(FMD)ウイルスの感染にきわめて抵抗性があり、感染はむしろまれであ る。このことは、第一に多くの 国で家畜にFMDが発生している、第二に人がFMDウイルスに野外でも、検査室でも 暴露される機会が多い、といった現況下でも、人にFMDウイルス感染による健康障害 がまれであることからも理解さ れている。
人のFMDウイルスに対する感受性については、長年にわたって議論が行われてきた が、今日では、人のFMDウイルス 感染の事例がまれであるとはいえ、疑いなく人獣共通伝染病の一つとして認識されて いる。
人でのFMD感染は臨床的に明瞭ではあるが、症状を殆ど示さない場合が多い。ウイル スに濃厚に暴露された場合、ま た予め素因を有する患者の場合には感染がおこる。とはいえ、人のFMD感染は良性で あり、潜伏期間は2〜4日から8 日間である。人の疾病の経過は、動物のそれと類似している。発病初期の症状は、発 熱、 頭痛、食欲不振、頻脈である。最初の小水疱がウイルスの侵入した部分(皮膚の創傷 や口粘膜)に形成され、やがて、 二次的に水疱が、手、足、口にひろがるが、全ての感染例がこのようになるとは限ら ない。細菌の二次感染がない場 合には、アフタ性潰瘍は1〜2週間で完治する。
40例以上の人のFMD感染例から分離されたウイルスはO型が最も多く、C型がこれに 次ぎ、A型はまれであった。そ の他の人のFMD症例では、血清反応か動物接種による再現実験により診断された。 症状のみでは、人の水疱性疾患と混同されることがある(とくに、コクサッキー A型ウイルスによる手足口病)。臨床症状のみでは人のFMDと手足口病とは 酷似しているので、検査室での確認検査が必要である。

(2) WHO細菌性、ウイルス性人獣共通感染症専門部会報告(FAOの参加による)

Bacterial and Viral Zoonoses. Report of a WHO Expert Committee with the Participation of FAO. Technical Report Series, 682, p113, WHO, Geneva (1982)
FMDは人の皮膚に水疱を形成する疾病をおこすことがこれまで証明されてきた。家畜 でのFMD感染の最盛期に 人が感染した動物に密接に接触した場合に感染することがある。FMDウイルスは人の 咽喉頭部に保有されて一時的保 菌者(transient carrier)となる。



( 3)全米公衆衛生協会の公式報告

Abram S. Benenson, ed.: Control of Communicable Diseases, 15th edition, p108.
An Official Report of American Public Health Association, Washington DC, USA (1990)
 FMDウイルスの感染は酪農従事者、畜産農場従事者、獣医師、ウイルス取り扱い技 術者などに認められ、また、ウ イルスのメカニカルな保菌者となり、動物へのFMD流行の感染源となる。


(4)藤倉先生のコメント

  上記資料のうち、WHO人獣共通伝染病専門部会の報告については、私がこの部会の議 案の準備、草案の起草、会議の 運営、議事録の整理、勧告文の起草、報告書の推敲、出版など一連の作業を担当官の 一人として関与した。 その時の経験では、すべてのzoonoses(人獣共通感染症)の現状、疫学などを評価し た過程で、口蹄疫についても 活発な論議が交わされたのをきわめて明瞭に記憶している。特にFMDが常在するネ パールなど開発途上国の代表が、 FMD流行時に罹患動物から搾乳に従事する農民などに時折、手足や口中に水疱を形成 するなど人の感染例が認められ るとの事例の報告があり、FMDは疑いなくウイルス性人獣共通感染症の一つであると の合意を得て、リストに加えら れた。報告書はベルン大学獣医微生物学教授であったフランツ・ステックF. Steck 博士*の校閲を得て完成した。
 これらの資料の中で紹介した短い記述の中で、人がFMDウイルスの保菌者となり動 物への感染源となることを記述 されていることは、これまでのほかの資料には認められない新しい重要な点であろう と思われる。今日われわれが、 南米などのFMD常在地域からアメリカ合衆国への入国手続の際に、生の畜産物を携行 しているか、どうかはもとより 、「過去2週間以内に家畜にふれたことがあるか、家畜の農場に居たことがあるか、米 国へ入国後家畜の居る所へいく 予定があるか」等、詳しく問われるが、これは、人がFMDウイルスのキャリアーとなる ことを前提としたFMD予防措 置であることは明らかである。同じことは、日本でも今後、必要となるかも知れない (入国者の中国、台湾、韓国、等 など、出国地によっては)。
FMDの人体への感染はまれであるとの状況への解釈から、「FMDは人には 無害である」というステレオタイプの一般的理解では不十分で、感染動物や汚染の可 能性のある敷きわら、飼料、排 泄物、汚染された空気などに対する防疫対策がおろそかになるばかりでなく、人その ものがウイルスのキャリアーと なることを軽視することになりかねないような、misleading に陥ることを危惧する ものである。

*ちなみにSteck教授は、当時スイスにも流行していたキツネの狂犬病を予防するた め、みずから開発された鶏頭ベ イト生ワクチン(注:ニワトリの頭に弱毒狂犬病ワクチンを入れた経口ワクチンで す。私は1960年代初め、カリ フォルニア大学デービス校でフランツ・ステックと一緒の研究室にいて親しくつき 合っていました。彼の経口狂犬病 ワクチンの話は私の著書「エマージングウイルスの世紀」p. 262で紹介してありま す。)をアルプス山中へ 散布試験中にヘリコプター事故で急逝され、氏と親交の深かった世界中の科学者から 深く悼まれたたのはいまだ記憶 に新しい。この研究の成功により、スイス国内はもとより、やがて欧州全域の野生動 物の狂犬病が撲滅されることに なった。
Steck教授は、幼い時から獣医病理学の教授であった父君の影響を受けておられ 日本文化にも造けいが深く、日本の獣医学の発展にも高い関心を示しておられた。  




   



Kazuya Yamanouchi (山内一也)



連続講座:人獣共通感染症