ボルナ病

生田 和良(大阪大学微生物病研究所ウイルス免疫分野)

はじめに
ボルナ病は、ヨーロッパ中東部において古くから知られていた、ウマに脳膜脳脊髄炎をもたらす疾患である。この病名は、ウマに大流行がみられた旧東ドイツのボルナという町の名に由来している。
ボルナ病の原因となる好神経性のボルナ病ウイルス(Borna Disease Virus; BDV)は、ウマの他にも、ヒツジ、ウシ、ネコ、ダチョウ、イヌなどの動物にも自然感染する。また、BDVは鳥類から齧歯類、さらには霊長類までの幅広い動物に実験的に感染させることができる。
一般に、ボルナ病を自然発症した動物やBDVを実験感染した動物では、急性期に攻撃性が高まり、その後に活動性の低下が続く。このような、ヒトの躁うつ病との類似性から疫学調査が行われ、1985年に初めてドイツのRottらにより、ヒト疾患との関連性が示唆された。この報告が端緒となって、ヒトの精神疾患とBDV感染との関連性が精力的に検討されてきた。しかし、それらの結果が必ずしも一致した見解でないことから、さまざまの議論が今も続いている。

BDV
BDVは、エンベロープに被われた非分節型のマイナス鎖、一本鎖のRNAをゲノムに持つモノネガウイルス属(Mononegavirales)に属する。BDVのゲノムは約8.9 kbのRNAからなり、少なくとも6つの蛋白質をコードしている。そのうち、N(nucleoprotein; p40)とP(phosphoprotein; p24)は感染細胞内で発現する主要なウイルス蛋白質である。
BDVは、核内で転写・複製し、感染・複製効率が低いことから、容易に持続感染を成立させる。持続感染した神経系細胞は形態的にまたその増殖性にもほとんど変化がみられない。

疫学的研究
 BDV感染は、蛍光抗体法、ウェスタンブロット法、ELISA法などによる血清学的手法によるもの、末梢血細胞内のウイルスRNAを検出するRT-PCR法などにより判定されている。しかし、RT-PCR法は極めて感度が高く、実験室内でのわずかのコンタミネーションを鋭敏に捉える危険性が指摘されている。一方、剖検脳では、RT-PCR法に加えて、in situ hybridization法やimmunohistochemistry法による病理切片上でのBDVの直接的な検出が行われている。

動物へのBDV感染

  1. ウマとヒツジ
    ウマやヒツジへのBDV感染は急性、亜急性の脳脊髄炎を引き起こす。このボルナ病の臨床症状は多様で、食思不振、行動異常、旋廻運動、運動失調、失明、また時に繁殖異常、まれに肥満などである。後期に至ると、後肢の麻痺を引き起こし、易刺激性・興奮・攻撃性を呈して重症例では死に至る。ボルナ病の発生には季節性が認められており、春と初夏に多く、晩秋と冬には少ないとされている。
    一般に、BDVの自然感染したウマやヒツジでは中枢神経系、特に海馬、嗅球、大脳皮質、視床下部などに脳炎症状が観察される。神経細胞内に封入体(Joest-Degan body)が認められることがあるが、必ずしもすべての例で認められるわけではない。炎症像に一致してアストロサイト数の増加が認められる。
    これまで、ウイルス学的、病理学的にボルナ病と確認されたウマは、ドイツ、スイス、オーストリア、リヒテンシュタインに限定されていたが、最近では、これらの地域でも典型的なボルナ病の例は減少傾向にある。一方、わが国でも酪農学園大学の谷山らにより、ボルナ病に類似の臨床症状がみられる2頭のウマが初めて見つけられた。
    また、日本やスウェーデンで歩行異常の認められるウマでもBDV陽性例が認められている。このようなウマでは、脳炎症状は陰性であるが、脳内BDVが高率に検出される。
    一方、不顕性にBDVに感染したウマやヒツジに関する報告は、ドイツ、アメリカ、日本、イラン、スウェーデン、バングラデシュ、中国に及ぶ。
  2. ウシ
    ウシにおいても、ウマやヒツジに類似のボルナ病が認められると、ドイツとスイスで1994年に報告されていた。わが国においても、ボルナ病に類似の1頭のウシが酪農学園大学の谷山らにより見出された。日本のウシでは、BDVの不顕性感染の存在も報告されている。
  3. ネコ
    スウェーデンでは、“staggering disease"と呼ばれる、ネコの原因不明の非化膿性脳脊髄炎の存在が知られていた。この疾患ネコについてBDV感染の有無が調べられ、高率に陽性例が見つかることが報告され、ドイツ、オーストリア、日本、イギリスでも類似の結果が出されている。ネコにおいても、BDVの不顕性感染例がこれらの国々から報告されている。
    最近、スウェーデンで、放し飼いのオオヤマネコでも類似の非化膿性の脳脊髄炎が認められ、BDVとの関連性が指摘されている。
  4. ダチョウ
    イスラエルで、麻痺を起こすダチョウが見つけられ、血清疫学的にBDV感染との関連性が示唆されている。
  5. イヌ
     イヌはBDVに非感受性と考えられていたが、1998年に初めてオーストリアで1頭のイヌがBDV陽性で、ボルナ病との類似性があると報告された。2002年、わが国の1頭のイヌも同様の症状で、脳内にBDVが検出される例が報告された。

ヒトにおけるBDV血清疫学的研究
 これまでの、血清および分子疫学結果を概観すると、多くの報告が躁うつ病や分裂病との関連性を指摘している。躁うつ病では、単極型・双極型とも陽性例を認め、頻回の再発・集中力や記憶力の障害とBDV感染との関連が示唆されている。分裂病では、陰性症状とBDV感染との関連を認めた研究があるが、妄想を主とするタイプでも陽性例が報告されている。他に、人格障害・薬物依存・強迫性障害・てんかん・原因不明の非特異的な神経症状・パーキンソン症候群・大食症などを呈した症例も報告されている。さらに、慢性疲労症候群、またHIVや慢性感染症など免疫抑制状態でもBDV検出率が高いとの報告がある。
 患者剖検脳内にBDVを検出する試みでは、精神疾患患者剖検脳(大脳辺縁系や小脳)の一部で陽性反応を認めたとする報告があるが、全く認められなかったとする報告もある。一方では、正常者やパーキンソン病患者の剖検脳においても、一部陽性反応が認められる場合があることも報告されている。

モデル系を用いたBDV誘導病態
BDV感染が引き起こす病態機序については、古くからラットを用いた実験感染系で広範に試みられてきた。ウマに引き起こされる脳炎と類似の症状が成ラットにおいて再現され、N蛋白質に対する細胞性免疫が主な原因と結論されている。現在では、このような脳炎以外の症状を理解するための各種モデル系の開発が活発になっている。
培養細胞レベルでは、BDVのリン酸化蛋白が神経突起伸長因子であるAmphoterin(HMGB1とも呼ばれる)と結合性を示し、神経細胞の神経突起伸長能に影響を与える。一方、ラットやスナネズミへの実験感染では、接種時期により病態が異なること、IL-1_などの脳内サイトカインの上昇、神経栄養因子(BDNF)の低下などが明らかになっている。さらに、BDV p24遺伝子を脳内に発現するトランスジェニックマウスが樹立され、海馬の神経網にp24の蓄積が認められると共に、神経症状が現れ始める。自発運動は正常であるが、学習能力の低下や攻撃性の上昇が認められる。また、加齢に伴い徐々にシナプス数の減少やBDNFの発現低下が認められる。
さらに、自閉症は複雑な病態を示す疾患であるが、最近、BDVを新生仔ラットに接種した場合に、海馬や小脳の形成不全が起こり、社会性、感情、行動などに異常が認められるなど、多くの点で自閉症との類似性が確認されている。

おわりに
動物やヒトにおける疫学的研究、また培養細胞やモデル動物を用いた基礎的研究から得られたBDVに関する知見が蓄積されつつあるが、ヒトの疾患との関連性は未確立とするのが現在の趨勢である。
BDVに自然感染した動物の多くは不顕性感染例であるので、感染から発症へ導く因子を同定することがBDV感染病態を理解する上で重要と考えられる。最近、自然感染したウマでの母子感染例が見出されており、BDVに感染する時期とその後に引き起こされる病態について、また、宿主側の因子(たとえば、遺伝子多型など)との関連性など、その研究成果が期待される。

生田 和良(大阪大学微生物病研究所ウイルス免疫分野)
ikuta@biken.osaka-u.ac.jp