公益社団法人日本獣医学会 The Japanese Society of Veterinary Science

人獣共通感染症 連続講座 第116回(04/24/2001)


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口蹄疫との共生

 英国の屠畜場で2月19日に発見された口蹄疫はオランダ、フランス、アイルランドでも発生しました。大量の家畜の殺処分で山は越したのか、最近ではあまり大きなニュースではなくなりつつあります。
私は著書「キラーウイルス感染症」の終わりを、根絶の世紀から共生の世紀でしめくくりました。今回の口蹄疫の発生は、まさにウイルスとの共生の問題を提示したものとみなせます。この視点を中心に口蹄疫の問題を眺めてみたいと思います。

1.流行の原因ウイルス
口蹄疫ウイルスFoot-and-Mouth Disease Virusが正式名称ですが、米国ではHoofs and mouth diseaseという名前にこだわっている人が今でもいます。Foot(足)ではなくhoofs(蹄)に病変がでるためです。なお、なぜ、日本語で蹄口疫にならなかったのかという質問を受けたことがあります。確かに順番が逆です。いきさつはまったく分かりません。
口蹄疫ウイルスには7つのタイプがあります。1922年に2つのタイプのウイルスが存在することが分かり、フランスのオアーズOiseで分離されていたウイルスがO、ドイツ(フランス語でAllemagne)での分離ウイルスがAと名付けられました。1926年に第3のタイプのウイルスが分離され、Oと AはいずれA, Bになるものと考え、それに続けるつもりでCと名付けられました。しかし、実際にはそうはならず、その後の分離ウイルスはSAT 1, 2, 3 (South Africa Territories)およびAsia 1となりました。
これら7つのタイプはさらに65以上のサブタイプに分けられています。それらの解析を行っているのは、英国家畜衛生研究所(パーブライト支所)に設置された世界口蹄疫レファレンスセンターです。ここのニック・ノールスNick KnowlesたちがVeterinary Record 148, 258, 2001とJournal of General Virology 82, 609, 2001に発表した論文をもとに整理してみます。(なお、この所長のポール・キッチンは最近、カナダのウイニペグに建設されたレベル4実験室の動物病部門の部長として転勤しました。)
今回の原因ウイルスはO型に属します。このグループのウイルスはウイルスの被殻にあるVP-1遺伝子の比較から、Middle-East South Asia (ME-SA), South-east Asia (SEA), Europe-South America (Euro-SA), East Africa (EA), West Africa (WA), Cathay, Indonesia-1 (ISA-1), Indonesia-2 (ISA-2)という8つの地域タイプ(topotype)に分けられており、英国で発生したのはME-SA 地域タイプです。
これは、1990年にインドで最初に分離され、ヒツジやヤギの輸出とともにサウジアラビアなど中近東に広がり、1996年までにトルコ、ギリシア、ブルガリアに広がりました。1999年までにイラン、イラク、シリア、イスラエル、レバノン、ヨルダンに広がり、それまで流行していたほかの口蹄疫ウイルスと完全に置き換わってしまいました。
一方、1993年にはネパール、1998年にはブータン、1999年にはチベットと中国の海南島、さらに台湾、ベトナム、カンボジア、タイ、マレーシア、ラオスに広がりました。
2000年3月には日本と韓国に発生しました(本講座96,99)。日本での発生は幸い、宮崎県と北海道の3農場の牛に限られていました。家畜衛生試験場を中心とした多くの人たちの努力で5万以上の血清が調査され、感染が広がっていなかったことが確かめられた結果、昨年9月末には国際獣疫事務局(OIE)から清浄国への復帰が認められました。
このウイルスは2000年には南アフリカに広がりました。これは極東からの船の残飯が豚に与えられたためと推定されています。英国は南アフリカから肉を輸入しているため、これが原因ではないかとか、南アフリカからの飛行機の残飯を豚に与えたためとかうわさされています。
ともかく、このタイプのウイルスはこれまでの口蹄疫ウイルスにはみられない、すさまじい伝播力を持っているようです。

2.口蹄疫対策の歴史
口蹄疫の発生は2000年前のギリシア・ローマ時代にすでにあったと想像されていますが、はっきりとした記述は1546年にイタリアのフラカストロFracastroが牛での発生を述べたものが最初とみなされています。その後、ヨーロッパでは牛の致死的ウイルス感染である牛疫の流行があったため、1886年までは口蹄疫についての記載はあまり見あたりません。
その頃になり、口蹄疫が畜産の大きな脅威とみなされるようになり、ドイツ政府の命令で病原体の分離を試みたのがフリードリッヒ・レフラーFriedrich Loefflerとポール・フロッシュPaul Froschで、1898年にウイルスの分離に成功しました。これはタバコモザイクウイルスとともに、ウイルス発見の第一号です。(本講座58回)
英国に口蹄疫が出現したのは1839年で、アルゼンチンから輸入した肉や乾草についてきたものと推測されています。19世紀には地方病として定着し、農民に大きな被害を与えてきました。そして1892年から、発病した動物とその周辺のすべての動物を殺処分する方式(stamping out)が始まりました。
ところが、1920年代に起きた発生では、殺処分対象の動物数が多くなりすぎて、順番が回ってくる前に回復する動物が出始めて、農民は殺処分に疑問を持つようになりました。殺処分するか、それとも口蹄疫と共存するかという議論が起こり、議会での投票の結果、わずかの差で殺処分が勝ったと伝えられています。これが現在まで続いているわけです。
1951-52年の大流行では殺処分の費用が30億円に達しました。これが議会で取り上げられ、チャーチル首相がフランスのようにワクチン接種を中心に防疫を行った国の場合よりも、はるかに低い金額であると弁明したと伝えられています。
1957年、OIEは口蹄疫予防のための国際条約を作り、これをきっかけとして殺処分方式が国際的に定着してきたとみなせます。
殺処分方式を最初に始めた英国は、徹底してワクチン接種を回避してきています。1967-68年の大流行では634,000頭が殺処分され、ワクチンは用いられませんでした。これに反してオランダは殺処分と発生地域周辺の動物へのワクチン接種(ring vaccination)を併用してきており、今回の発生でも早い時点でワクチン接種に踏み切っています。次に述べるように口蹄疫ワクチンの開発で中心的役割を果たしたのはオランダの研究者でした。そのような背景もかかわっているものと思います。

3.ワクチンの開発
OIEは家畜伝染病について世界貿易機関WTOの諮問機関の役割を果たしています。本講座(96回)で述べたように、口蹄疫が発生してワクチンを接種すると、ワクチン接種した動物がすべて屠殺された後、3ヶ月間、病気が発生しない場合に初めて清浄国に戻ることになっています。昨年の日本の場合にはワクチンは用いず殺処分のみで終息できたので、きわめて短期間で清浄国に復帰できたわけです。
ところで、最初の口蹄疫ワクチンは1926年に感染した牛の舌を乳剤とし、それを不活化することで作られました。1951年に、健康な牛の舌の組織をタンクで培養し、そこでウイルスを増殖させる方法がオランダのフレンケル(Frenkel)により開発されました。これによりワクチンの大量生産が可能になりました。これはフレンケル・ワクチンと呼ばれ、オランダで大規模なワクチン接種に用いられて成功しています。
1965年からは、ハムスターの継代細胞であるBHk21細胞の浮遊培養で大量のワクチン製造が行われるようになり現在に至っています。このワクチンのおかげで、1965年にヨーロッパで年間約3万頭発生していたのが、1975年までに1000頭に減少しました。
しかし、現在のワクチンには次のようないくつかの問題があります。(1)口蹄疫ウイルスには前に述べたように、7つの血清型があり、さらに多くのサブタイプがあるため、ワクチンは流行株に適合しなければ効果がありません。時折、これまでのワクチンが効果を示さない新しいタイプのウイルスが出現することがあります。流行株に合致しないとワクチン効果が期待できない点はインフルエンザの場合と同様です。(2)ワクチン接種した動物でも感染することがあります。その際には症状はほとんど出ませんが、動物はキャリアーになってウイルスを放出してほかの健康な動物に感染を広げることがあります。(3)不活化が不十分でウイルスがワクチンの中に生き残ってしまうことがあります。現実に1980年代にヨーロッパでこの事態が起きて、それ以来、ヨーロッパでは口蹄疫ワクチンの使用は完全に中止されました。ただし、現在の品質管理システムでは、このような事態が起こることはないと考えられます。(4)もっとも重要な点は自然感染とワクチン接種の区別ができないことです。そのため、本講座(96回)でご紹介したような血清調査による、口蹄疫清浄国の判定ができなくなります。
新しいタイプのワクチン開発は1970年代後半に組換えDNA技術が生まれた際に、その応用問題第1号としてベンチャーのGenentechが試みたことがあります。これはウイルスの被殻の蛋白VP-1を大腸菌で産生させた、サブユニットワクチンでした。しかし、1980年代初めにできてきたワクチンは現行のワクチンよりも免疫力が弱く実用化には到りませんでした。
その後は、殺処分という国際方式が存在している中でワクチン開発をしても企業利益にはつながらないために、企業によるワクチン開発はこの30年間ほとんど試みられていません。その間にほかのワクチンでは第2世代、第3世代ともいえる新しい技術が試みられていますが、口蹄疫は取り残されたわけです。一部の国立研究所でDNAワクチンやベクターワクチンなどの新しいワクチン開発の試みが細々と続けられているだけです。

4.マーカーワクチンの必要性
現在のように地球規模で物と人が移動する時代、これまでのように殺処分方式だけで清浄状態を保つことはますます困難になってきています。先に述べたような欠点を克服したワクチンを開発して予防する方式がいずれ必要になると考えられます。
その際にとくに重要な点は、ワクチンになんらかの印し(マーカー)をつける工夫をして、自然感染の場合と区別できるようにすることです。これは一般にマーカーワクチンと呼ばれるものです。
これには検出しやすい別の蛋白遺伝子を加えるか、またはウイルス遺伝子のうち、免疫効果に関係のない部分を欠損させる方法があります。前者ならばワクチンを接種された動物で、その余分の蛋白に対する抗体が産生され、後者ならば、欠損させた蛋白に対する抗体はできません。これで自然感染と区別することができます。
先月、私はヨーロッパでこの領域の専門家と会って話しましたが、やはりマーカーワクチンの必要性に賛成の意見でした。
現実には、現行の不活化口蹄疫ワクチンから一部の蛋白部分(ウイルス粒子に含まれないところの非構成蛋白の部分)を除いたマーカーワクチンができてはいるようです。当面はこのワクチンでも大量殺処分を回避できることが期待されます。
新しいワクチン開発の技術を応用すれば、それよりも高い免疫力を持つ有効なワクチンの開発も可能と思います。口蹄疫ウイルスの侵入は起こりうるという前提で、動物を大量に殺すことなく、感染の広がりを阻止することを真剣に考える時代になっていると思います。ワクチン領域ではそれだけの技術進歩はすでに得られているはずです。