霊長類フォーラム:人獣共通感染症(第1回)4/14/95


馬と人への致死的感染の原因解明
(新しいモービリウイルスの出現)

 パラミクソウイルス科モービリウイルス属には人の麻疹ウイルス、イヌのジステンパーウイルス、牛の牛疫ウイルスが含まれている。いずれもそれぞれの宿主で高い感染性と重い病気を引き起こすウイルスである。麻疹ウイルスは人だけがかかる病気であるが、人と接触することでサルにも感染が起こる。イヌジステンパーウイルスは食肉類の動物が感受性を持つが、普通はイヌの感染だけが注目されている。牛疫は牛の急性伝染病で、18世紀のヨーロッパでの流行ではヨーロッパの牛のほとんどが死亡したともいわれている。我が国でも19世紀後半に流行が起こり4万頭以上が死亡した。先進国ではなくなった牛疫は今なおアフリカ、中近東、インドなどでは流行しており、もっとも重要な家畜伝染病とみなされている。
 モービリはラテン語のmorbus(病気)に由来する。モービリウイルス感染は病気の原形ともいえるわけである。このような典型的な急性伝染病であるモービリウイルス感染に最近新しい局面が生じてきた。すなわち野生動物でのモービリウイルス感染である。1988年に北海のアザラシ17、000頭以上の死亡が起こりその原因となったウイルスが同じモービリウイルスに属することが明らかになり、アザラシジステンパーウイルスと命名された。またイルカでも新しいモービリウイルスが分離されイルカ・モービリウイルスと命名された。シベリアのバイカル湖でもアザラシの大量死が起こり、これはイヌジステンパーウイルスの感染によることが明らかにされた。一方、昨年にはイヌジステンパーウイルスがアフリカ・タンザニアの国立公園のライオンで致命的流行を起こした。また今年になってケニアでは数100頭の野牛が牛疫ウイルス感染で死亡した。このようにモービリウイルス感染は陸棲だけでなく水棲動物も含めた野生動物をまきこむ問題として注目されはじめている。
 このような事態に加えてモービリウイルス感染にさらに新しい局面が生じた。昨年9月に、オーストラリアで起きた馬と人の致死的モービリウイルス感染である。新しいウイルスの突発的出現、それに対するウイルス研究者のめざましい活躍など、非常にドラマチックであるだけでなく(映画化が検討されているとのこと)、感染症に対する監視体制についての重要な示唆にも富んだストーリーが展開された。
 これまでにCSIRO機関誌ECOS Summer 1994/95, Journal of Emerging Infectious Diseasese Vol. 1, No.1, 1955およびScience 268, p. 32, p. 94 (April 7, 1995)に発表された内容をもとに、新しい馬モービリウイルスの出現について紹介する。

1。経過
 1994年9月にオーストラリア、ブリスベインの調教師ビック・レイル氏(49歳)の厩舎にキヤノンヒルから運ばれてきた1頭の馬が発病した。つづいてほかの馬も発病し数日以内にこれらが死亡したのが発端である。抗生物質の投与は効果がなかった。その後、レイル氏が発病し、さらに助手(40歳)も発病した。
 馬の死亡と関係者2名の発病のニュースは9月22日(木)にQueensland Department of Primary Industries (QDPI)に知らされ、ただちにメルボルン近くのジーロンにあるCSIRO Australian Animal Health Laboratory(家畜衛生研究所)に伝えられた。CSIROはCommonwealth Scientific and Industrial Research Organizationの省略。家畜衛生研究所の所長はKeith Murray である。(彼は英国家畜衛生研究所パーブライト支所ー外来性動物ウイルス研究の世界的中心で私の共同研究の相手でもあるーで免疫研究部のチーフをつとめた後、ここに移った)。
 馬の症状は41℃の高熱、呼吸器障害による鼻からの血の混じった泡の分泌が特徴であって、窒息で死亡した。これまでに計14頭が死亡した。この症状から最初はアフリカ馬疫が疑われた。これは50%の致命率を示す馬の急性伝染病である。我が国には存在しない。
 翌9月23日(金)午前1:30にQDPIから2頭の馬の肺と脾臓のサンプルが家畜衛生研究所に到着した。PCRでアフリカ馬疫、ウマインフルエンザ等の考えられる外来性ウイルスの遺伝子の関与が調べられたが、すべて陰性であった。また酵素抗体法で既知の多くのウイルスの関与も調べられたが、これらもすべて陰性であった。また電子顕微鏡でウマヘルペスウイルスについても調べられたが陰性であった。このようにして心配されたウイルスの関与は午後4時までにすべて否定された。
 これらの試験は人への感染の危険性を考慮して高度隔離施設内の特別隔離室のキャビネットで行われた。ここは写真で見ると宇宙服方式のP4実験室と考えられる。
 サンプルは米国疾病管理センター(CDC)に送られた。
 南東クイーンスランド全域での競馬が中止され、馬、ロバの輸送も禁止された。
 3日目の9月24日(土)には死亡した2頭の馬の脾臓と肺の乳剤が健康な2頭の馬に接種され、また種々の培養細胞へも接種された。
 一方、この日までにブリスベインの研究所では除草剤、植物毒、炭疽菌などが原因でないことが確認された。
 5日目(9月26日)にはいくつかの培養細胞のうち、Vero細胞に細胞の脱落や多数の核が融合してできるシンシチウム(合胞体)がみいだされた。この変化はパラミクソウイルス科のウイルスに特徴的なものである。
 6日目(9月27日)になり、電子顕微鏡で細胞膜に包まれたウイルスの出芽の像がみいだされた。デタージェントでウイルス様粒子の膜を除去するとニシンの骨のような形の蛋白の被膜が認められた。これはパラミクソウイルス科に特徴的な形である。この電子顕微鏡の所見と前述の培養細胞でのシンシチウムからパラミクソウイルス科の関与が疑われた。そこでパラミクソウイルス科のパラミクソウイルス属、ニューモウイルス属およびモービリウイルス属にそれぞれ特異的なプライマーを用いてウイルスのクローニングと核酸塩基配列の決定が始められた。
 この日にレイル氏が集中治療にもかかわらずブリスベインの病院で死亡した。発病後6日目であった。
 7日目(9月28日)には2頭の死亡した馬からのウイルス分離が正式に発表された。また、別の2頭の馬からもこの日に同じウイルスが分離された。さらにレイル氏の腎臓から同じウイルスが分離された。肺からの分離も試みられたが、肺は損傷がひどくて分離は成功しなかった。
 ウイルスが分離されたことから、今度は分離ウイルスの馬への接種がこの日に2頭の馬を用いて行われた。
 10日目(9月31日)に最初の感染実験が試みられた2頭の馬が、自然感染馬と同じ症状を呈して発病した。接種後7日目である。
 この後、2、3日して分離ウイルスを接種された2頭の馬も発病した。
 
 以上のような経過で、発病した馬と人から同じウイルスが分離され、発病馬とそれからの分離ウイルスが健康な馬に同様の病気を引き起こすことが証明され、このウイルスが馬と人での致死的感染の原因であったことが確認された。検査材料が届いたのが土曜日午前1:30で次の週の土曜日までに原因ウイルスの解明に成功したことになる。

2。分離ウイルスの性状
 培養細胞ではミドリザル腎臓由来のVero細胞でもっとも早く細胞変性効果が出現した。ほかにアカゲザル腎臓由来のLLC-MK2細胞、人腎臓由来のMRC5細胞でも細胞変性効果がみいだされた。
 細胞変性効果はシンシチウム形成が特徴的であった。
 電子顕微鏡では自然感染馬、実験感染馬、レイル氏の腎臓でウイルス粒子が検出された。サイズは38-600 nmで多形性のものであった。被膜(エンベロープ)は2重の縁飾りのような形をしていた。細胞培養の上清にはニシンの骨のような形のヌクレオカプシド(ウイルス粒子の内部構造物)がみいだされた。
 血清学的には回復馬血清および2名の感染者(レイル氏とその助手)の血清でウイルスが中和された。また、電子顕微鏡でウイルス粒子は金コロイドで標識した抗体と反応した。すなわち感染した馬と人にウイルス中和抗体が存在し、またその抗体がウイルス粒子に結合することが確かめられたわけである。
 遺伝子構造の面では、PCRでの増幅はパラミクソウイルス科のウイルスのうち、パラミクソウイルス属とニューモウイルス属のプライマーでは陰性であり、モービリウイルス属のプライマー(M,F,L遺伝子に特異的な)のうち、M遺伝子特異的プライマーでのみ増幅された。
 細胞変性効果としてのシンシチウム、電子顕微鏡での粒子の形状、遺伝子構造の面から原因ウイルスはモービリウイルスのひとつであることが推測された。しかし、既知のモービリウイルスとはM遺伝子の系統樹で調べた結果、かなりかけはなれていた。血清学的には牛疫ウイルスに対する抗体とのみ、蛍光抗体法とイムノブロットで弱い反応がみられただけであった。
 一方、血清疫学の面から約1600頭の馬と90人の血清について検査が行われたが、すべて陰性であった。

3。結論
 以上の結果、モービリウイルスに属する新しいウイルスが馬とレイル氏の死亡の原因であることが結論された。このウイルスの起源は不明である。血清疫学の結果から馬が自然宿主とは考えられず、野生動物の間に存在するウイルスかもしれない。多くの動物種についての総合的な検査が必要である。
 前述のように最近新しいモービリウイルスが水棲動物などでみいだされてきているが、人のモービリウイルスとしては麻疹ウイルスが10世紀に記載されて以来、初めての新しいウイルスになる。
 今後の問題として自然宿主の解明があげられる。オーストラリアに生息する動物が自然宿主であって、自然宿主ではほとんど病原性を示さないものであるとすると、ほかの家畜にも感染を起こすおそれがある。
そのような事態が起こると、肉や家畜の輸出産業が大きな打撃を受けるおそれがある。もしもオーストラリア以外の国から来たものとすると、ほかの場所でまた、突然発生するおそれがある。

4。私のコメント
 今回のオーストラリアの研究結果は非常に高く評価されている。サイエンス誌では元CDCウイルス部長で現在カリフォルニア大学獣医学部長のFred Murphy が絶賛していると書かれている。
 1週間あまりで原因ウイルスの解明に成功した今回の成果は1960年代終わりのマールブルグ病の場合と比べてみるといかにすばらしいものかが良く分かる。
 今回の例に限らず、1989年末に米国で起こったサルでのエボラウイルス感染、また昨年、これも米国で起こった新しいハンタウイルスによるハンタウイルス肺症候群のいずれもが最新のウイルス学技術により、かっては考えられないくらい短期間で問題解明が行われた。その結果、社会不安を招くことも避けられた。これらはウイルス学の著しい進展を如実に示したものである。しかし、その進展の成果を生かせる基盤ができていたことに注目しなければならない。ひるがえって、我が国ではどうであろうか。最近、問題になっている危機管理は感染症の世界でも重要な課題とみなすべきである。


Kazuya Yamanouchi (山内一也)

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