人獣共通感染症 連続講座(第5回)6/7/95


コーヒーブレーク


 エボラ出血熱の終息宣言がWHOから出されました。連日、インターネットを通じてのPromed(Program for monitoring emerging diseases)からの情報もめっきり少なくなりました。次の講座の準備までにこの辺で雑談にしてみたいと思います。ベストセラーになったホットゾーンと映画アウトブレークについての断片的な話題です。

サイエンスライター
 ホットゾーンの内容の多くは、これまで多くの論文に書かれており、非常に正確です。しかし、学術論文は客観的な表現を重んじるため、この本に書かれているような迫力はありません。私達がこれまで書いてきた総説や解説とはまったく違います。一般社会の人達に理解してもらうには、やはりこのような描写力が必要なことが痛感されます。といっても私達専門家にはとても期待できません。サイエンスライター(日本では育っていません)や、作家に私達が事実を正確に伝え、理解を深めてもらった上で、彼らの筆にゆだねることが必要と思います。

「炸裂」「放血」
 ホットゾーンを読まれた方の多くが「炸裂」、「放血」という表現にひきつけられたはずです。本の帯に書かれたコメントにもこの言葉が出てきます。このような表現は専門家にとっては極めて奇異に感じられます。アメリカから送ってもらった原著The Hot Zoneを読んでみると、crashed, bled outとなっています。引用符は最初のところだけで、後は特別の扱いにはなっていません。 crashedはcar crash, air crash のように衝突、墜落といった意味です。bled outはbleed outの過去形、血が出つくした、といった意味です。すなわち、激突してすっかり血がでつくしてしまった、という感じです。なぜ炸裂という言葉になったのかはわかりません。このすぐ前の文、Human virus bomb explodes(人間ウイルス爆弾は爆発する)とつながっているのかもしれません。放血は普通は放血させるという他動詞に由来します。とにかく炸裂が日本版ホットゾーンの重要なキイワードになっています。原著のニュアンスとは違いますが、かなり訳者が苦労して選ばれた言葉ではないかと想像しています。

エボラウイルスの電子顕微鏡写真
 ホットゾーンの表紙には蛇がとぐろをまいたようなエボラウイルスの電子顕微鏡写真がのっています。これはフレッド マーフィーが撮影した有名な写真です。ちなみに彼はエボラ発生当時はCDC 特殊病原室の研究員で、後にCDCウイルス部長になり、現在は出身校のカリフォルニア大学デービス校の獣医学部長です。私が留学していたバンコフスキー教授の学生でしたが、彼が入学したのは私の帰国後です。ところで米国版の本の表紙は違う電子顕微鏡写真を使っています。コンピューターグラフィックでイメージを強めて立体感を出しており、色彩も派手でかなりサイケ調です。日本版が神秘的な感じを強調しているのと大分違います。両国民の感覚の差を意識して表紙の写真が選ばれたものと思います。

カール M. ジョンソン
 この本の前半(p. 150)にはエボラがザイールで発生した時にCDCの特殊病原室の室長であり、エボラ封じ込めのWHO チームの隊長として活躍したカール ジョンソンの名前が出てきます。すでに退職してモンタナで釣を楽しんでいるという文章を見て大変なつかしさを感じました。彼にはふたつの点で大変お世話になったことがあります。最初はエボラ発生の翌年、1977年にCDCを訪問した時です。ラッサ、マールブルグ、エボラ(LME) 対策の中心として予研にP4実験室を建設することとなり、そのための調査でした。彼にはP4実験室について非常に親切に教えていただき、内部にも入れていただきました。グローブボックス内の顕微鏡観察(たしかマールブルグウイルス感染細胞だったと記憶しています)もさせてもらいました。P4実験室に入ったのは北村敬(元予研ウイルス研究部長で現在、富山衛生研究所長)と清水文七(現千葉大学教授でホットゾーンの医学用語で校閲をされたとのこと)の両先生と一緒でした。P4実験室はグローブボックス内に病原体が完全に封じ込められており、室内にはまったく汚染はないので、カメラの持ち込みも許してくれました(もちろん持ち出す時はホルマリン消毒しました)。ひげのカール ジョンソンとふたりの日本人研究者がP4実験室内のグローブボックスの前に立っているスナップが良い記念として残っています。彼の多くのアドバイスが予研のP4実験室建設では大変役に立ちました。残念ながら、このP4実験室がいまだに使用できない状態なのは皆さんもご承知と思います。
 次にカール ジョンソンにお世話になったのは流行性出血熱です。日本の医科大学の動物実験施設で流行性出血熱が発生し、大問題になっていた時でした。当時、ウイルスは韓国の高麗大学の李教授が分離されたものだけで、抗体検査はすべて韓国に送らなければならなかったのです。1981年12月にサンフランシスコで日米科学協力事業の実験動物班の会議に出席した後、文部省の流行性出血熱研究班の班長もつとめておられた大阪大学微生物病研究所教授の川俣順一先生と一緒にカール ジョンソンを訪ねました。その時にはCDC から米陸軍微生物病研究所(ホットゾーンに出てくるUSAMRIID)に移っておられました。彼は李教授がウイルス分離した時から、ずっとこのウイルスについて共同研究をしておりました。そしてその後の日本での検査体制の確立について協力していただきました。

スラマーSlammer
 ホットゾーンにはエボラやラッサなどレベル4のウイルスに感染した人が隔離されるスラマー(P4病室)が出てきます。私はここに入ったことがあります。といっても見学者としてです。1977年にUSAMRIIDを訪問した時です。患者がいなかったので、中までいれてもらったわけです。動物のバリアーシステムと同じレイアウトで、2つのベッドがあります。医師や看護婦は上半身だけプラスチックスーツを着て入ります。滅多に患者はいないので定期的に操作マニュアルにしたがって予行演習を行っています。このマニュアルや内部のレイアウトなど参考になる情報をいくつかもらってきました。このほかにP3病室もあります。こちらは16ベッドあります。主にワクチン接種後の攻撃試験といっていました。となるとボランテイアによる人体実験なのでしょうか。

ユーサムリッド USAMRIID
 US Army Medical Research Institute of Infectious Diseases(略してyou Sam rid)は1940年から1969年まで生物兵器の研究所でした。1969年から研究が防御兵器に限定され、この名前になったのです。防御生物兵器とはワクチン、免疫血清などのことで、動物モデルの作出から予防法、診断法の研究が主体です。私は1974、1977、1981年の3回訪問しました。1974年に行った時には、まだ生物兵器時代の内部設備(エアロゾル感染させる巨大なドーム状の部屋など)も大分残っていましたが、1977年にはほとんど跡形がなくなっていました。なお、生物兵器研究所の一部はNIHの癌研究組織Frederick Cancer Research Centerになっています。ここの運営は民間のダウケミカルが引受ています。いわゆるgo-co(government-owned company-operated)の典型的なものです。筑波霊長類センターと予防衛生協会の関係に似ています。

映画アウトブレイクでの宿主探し
 アウトブレイクは5月の連休に見にいきましたが、観客のほとんどが高校生、大学生位の若い人達でした。映画のストーリーの展開で重要な点として宿主がみつかれば治療法がわかるというところがありました。先日、NHKのクローズアップ現代にゲストとして出た時に、この点についてキャスターの国谷さんから、質問されました。もちろん、そんなことはまったくありえないのですが、映画を見た人は皆、信じているそうです。一般の人の誤解を解くという観点から解説を行ったわけです。映画や小説の威力は大変なものです。

私からの質問
 映画の中でサルが出てきますが、あのサルの種類についてお分かりの方がいたら教えていただきたいと思います。コロブスモンキーのようにも見えたのですが、よくわかりませんでした。霊長類フォーラムの会員でしたらどなたかご存じだろうと期待しています。


Kazuya Yamanouchi (山内一也)

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