牛海綿状脳症(Bovine spongiform encephalopathy: BSE)、別名狂牛病がヒトの神経難病クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)を起こす危険性が英国で問題になっていることは、本講座で何回かすでに紹介しています。
今朝のNHKテレビのニュースが現在このことが英国で大きな社会問題になっていることを取り上げていました。メイジャー首相が場合によっては英国すべての牛を殺処分にする可能性もあるといったことも紹介していました。しかし、ニュースの内容は不完全で科学的観点からの解説はまったく行われていません。単に社会の反響の紹介だけでした。もっと正確に事態を理解しておく必要があると思いますので、今日ProMedで届いた資料の関連部分をご紹介します。なお、本講座第26、27回も参考にしてください。
英国での今回の動きの発端は3月20日に、保健大臣ステファン・ドレルStephen Dorrellが下院で行った声明です。これは海綿状脳症諮問委員会から政府が受け取った勧告にもとづいたものです。この委員会はジョン・パッテイソンJohn
Pattison教授を委員長として、神経学、疫学、微生物学の最高の専門家を集めて種々の海綿状脳症の動物および人の健康に関する科学的な見地からの勧告を行うために、1990年に設けられました。委員会メンバーは政府機関の科学者ではなく、それぞれの分野のトップクラスの臨床医です。委員会の目的はその領域で起こる科学的な疑問について単に政府に勧告するだけでなく、社会全体にも勧告することになっています。
以下に委員会勧告の和訳をご紹介します。機関名など適切でない訳もあるかと思いますが、ご了承ください。
委員会は最近CJD調査ユニットにより認められた42才以下の人に起きた10例のCJDについて検討を行った。その結果これらが今まで認められていなかった一定の病態を示していると結論した。これまでの患者の診療記録、遺伝的解析およびその他の考えられる原因、例えば診断例の増加などを検討したが、十分に説明することはできなかった。これは非常に重大な関心を引き起こした。現在のデータにもとづき、そして信頼しうる別の説明がないところでは、現在もっとも考えられる説明は、これらの例が1989年に特定の牛の臓器の食用の禁止を決定する以前に、BSEに暴露されたことと関連があるということである。
CJDはきわめて稀な病気であり、この新しい病型が今後出るとしても、どれくらいということを予測するのは早すぎる。継続的な調査がもっとも重要なことであり、委員会は英国および外国からも今回の知見の意義について十分な評価を行うための協力を積極的に求めている。
委員会は公衆衛生を守るための現在の対策を適切に強化することがきわめて重要であることを強調するものであり、脊髄の完全な除去を保証するよう常に監督することを勧告する。
委員会は次の点も勧告する。
a. 30カ月令以上の牛の死体は承認された施設で、食肉衛生局の監督下で骨を除去しなければならない。
b. すべての家畜に対して、哺乳動物の肉と骨付き餌の使用を禁止する。
c. 公衆衛生局および関連部局は本委員会に相談の上、これらの知見についての勧告を行う。
d. 委員会はさらに研究を推進することがきわめて重要と考える。
委員会はこれらの知見がミルクの安全性についての勧告を変更するものとは考えていない。
上述の勧告が実施されれば、牛肉を食べることによる危険性は現在、きわめて小さいと考える。
ラルフ・ブランチフィールドJ. Ralph Blanchfield (Food Science, Food Technology & Food Law
Consultant)の注釈によれば、今回の10例での異常な点は以下の通りです。
1。一般に言われている危険因子は関わっていない。
2。通常のCJD患者よりも年令が平均で27、5才も若い。(普通は63才以上)。
3。死亡までの期間が平均13カ月。(普通は6カ月)。
4。脳波のパターンが典型的でない。
5。脳の病理組織検査ではCJDと診断されるが、通常のCJDとは異なり、プリオン蛋白プラークの大きな蓄積がある。(しかし、脳の病理組織変化はBSE感染牛のものとは全く異なる)。
SEAC委員長パッテイソン教授は、今回の例は、ほかの誰よりも我々が非常に注意深く調べた結果、見つかってきた可能性もあると述べているとのこと。
また、ブランチフィールドの個人的見解として、もしも委員会の考えるような説明が正しいとしたら、10例をはるかに上回る例数がすでに見つかっているはずであると。
人獣共通感染症 (第33回追加)3/23/96
牛海綿状脳症についてのQ & A
海綿状脳症諮問委員会(Spongiform Encephalopathy Advisory Committee' SEAC)委員でマンチェスター伝染病対策コンサルタントのマイク・ペインターMike
PainterがまとめたQ & AがProMedで流されてきました。非常にわかりやすい内容ですので、ご紹介します。(BSEに限らず、ほかの問題でも一般向け情報提供は、このように分かりやすいものにするべきだと感じさせられました。)
なお、これは完全に彼の個人的見解と断ってあります。
1。何が起きたのか?
エデインバラのCJD調査ユニットがCJD患者の脳の病理学的変化で、これまでとは異なるものを見いだした。問題になったのは、調べたすべての切片で多数のアミロイド斑の存在を見いだしたこと。このアミロイド斑の形態は古典的CJDではこれまでに認められていない。
2。何例起きたか?
これまでに10例。
3。どれくらいの期間にわたって?
症状の出現時期は1994年初めから1995年後半まで。
4。年齢分布は?
大部分は20才台半ば。2例は10才台後半で1例は40才台前半。
5。特定の地域に多い傾向は?
はっきりしない。数がまだ非常に少ない。
6。すべての例が死亡したのか?
2名はまだ生きている。
7。これは大きな流行の前触れか?
なんとも言えない。今のところ、数十万人といったことは疑問だ。しかし、10例を越えることは間違いないだろう。最終的にどれくらいになるかまったく分からない。
8。新しいタイプの病変はBSE に汚染した牛肉を食べたためか?
まったく分からない。しかし事実は、この病変がこれまで記載されていないものであり、新しい危険因子が出現したと結論できる。よくは分からないが、考えられる潜伏期すなわち8ー10年間を考慮すると、もっとも可能性のある説明はBSE病原体への暴露によるということだ。
9。どのようにしてBSE病原体が人の食べ物に入ったのか?
これもはっきりしたことは分からない。これまでのところ、筋肉組織がBSEを伝達することは、どのような伝達実験でも示されていない。これとは対照的に、高い感染価が脳、脊髄、細網内皮系で見つかっている。
ひとつの説明は中枢神経系のかけらがなにかの肉製品、たとえばハンバーガーやパイに入っていたということだ。ケースコントロールスタデイで証明するにも時間がかかる。
10。危険性はまだ存在するか?
1989年に6カ月令以上の牛の中枢神経系、扁桃、脾臓およびすべての年令の牛の胸腺、腸管、脊椎が人と動物の食物に利用することを禁止した(特定の牛のくず肉の禁止措置Specified
Offal Ban)。
この禁止措置は昨年、脊椎から機械で集めた肉にまで広げられた。
以上の点に加えて、筋肉からの伝達実験が陰性であることを考えると、1996年に牛肉を食べることによる危険性は、1989年以前よりも数桁は低いというのが妥当である。ゼロリスクというのは不可能だが、私にとって、牛肉を食べるのを止めなくてもよいという理由としては十分である。
11。これらの例は、特定のくず肉禁止の措置でBSEの広がりを抑えるという考えが間違っていたことを意味するのではないか?
必ずしもそうではない。特定くず肉禁止措置の施行が、当初期待通りに十分には実施されていなかったことが明らかである。今ではこの点が認識されている。
12。牛肉の消費を完全に禁止する必要はないか?
現在、人の食用に流通している肉に感染性があるという証拠はない。現在の証拠から完全な禁止は困難と思う。
13。後で後悔するより安全を優先する方がよいのではないか?
ゼロリスクという考えに戻ることになる。この方が受け入れられるが、実際に実行するのは不可能とはいわないまでも、きわめて困難である。危機に際して、純粋に感情面から反応するのを避けるのは難しいが、慎重かつ論理的な反応がもっとも満足すべき結果をもたらすものと信じている。
14。ハンバーガーやパイのような肉製品を食べた人に心配はないか?
心配するのは当然だが、絶対的な保証を与えるのは不可能である。私が言えることは、特定くず肉禁止措置以前のような汚染があって、大きな危険をもたらすとは考えにくいということだ。しかし、非常にわずかの人々への危険でも、全体としてはかなりの人々への危険につながる。
最初の特定くず肉禁止措置以来、この措置が効果的に実施されるにつれて、汚染の危険性は減少するだろうし、また国内での感染牛の数も減ってきている。
19。(15ー18欠)。子供に牛肉を食べさせて安全か?
伝達実験で筋肉に感染性がみつからなかったとはいえ、検出限界以下の量があるかもしれない。子供が成長期にあり、しかも大人よりも長い生涯にわたって暴露される可能性があるという事実は、重要な疑問を投げかける。現在、海綿状脳症諮問委員会は、勧告の変更は行っておらず、子供に食べさせることを控えるような勧告も行っていない。この問題は今週末に詳しく討論される予定である。
20。BSEの80%が乳牛に起きていることを考えると、ミルクを飲むことに危険はないか?
感染牛のミルクでBSEを伝達することはできていない。これまでのところ、誰もミルクからの危険性がないと判断することはできていない。
21。感染しているかもしれない人をスクリーニングする試験方法はあるか?
ない。
22。ナランNarang博士が開発中の試験方法は何か?
この試験の感度と特異性について詳しくは知らない。それゆえ、100万人に1人という病気のスクリーニングに適当かどうかいうことは私にはできない。99.95%の特異性でも、1例の陽性に対して500例の擬陽性を残すことになる。この500例の擬陽性は大騒動になるだろう。
適当なスクリーニング試験が利用できるようになるとしたら、その時は、その応用が緊急の課題になることは間違いない。
23。遺伝的素因で危険性の高い人を検出するスクリーニング試験はあるか?
ない。
24。人が羊からスクレイピーにかかる可能性は?
羊でのスクレイピーは少なくとも200年前から知られており、人に伝達されたということは、まったく知られていない。この点が変わったと推測する理由はまったくない。
25。牛で問題になったものと同じ汚染飼料が、羊にも与えられたとしたらどうか?
これは別の可能性の問題であり、伝達実験では牛の病原体を羊に伝達しうることが示されている。しかし、最近、羊のスクレイピーのパターンに変化はなく、それゆえ現在、羊が人への問題になるという証拠はない。農業食糧省はスクレイピーの監視を続けており、本委員会はすべての最新情報を受け取っている。
26。今週よりも前になぜ、行動が起こせなかったのか?
CJDは非常に稀な病気であり、臨床医が非公式に症例をエデインバラのCJD調査ユニットに報告している。診断の確認は、多くの場合解剖で行われている。異なる病変が見つかったとしても、これが年令の若いことと関連があるかもしれない正常の変動かどうか明らかではない。同じような変化を示す例が増えるにつれて、これが多分正常変動ではないことが明らかになってくる。この知見の重要性から、医師達は同僚に確認してもらうことを望んだ。このことが行われ、これが新しい変化であるという点で意見が一致したところで、本委員会は政府に、この情報を一般に知らせるように勧告したのである。
27。人から人への広がりの可能性は?
CJD患者からほかの人へ伝達された例はまったくない。脳生検用の外科器具を通じて伝達された例はあるが、これは日常活動とは別のものである。新たに見つかった病型のものがこの点で、異なると推測する理由はない。
28。心配している患者を抱えている一般医師に、どう言ったらよいか?
患者がしっかりしていたら、上述の情報を教え、そしてBSE に関連した病気の可能性は非常に低いということを告げるべきだ。もしもCJDを疑わせる神経症状を示している場合には、一般医師は地域の神経科医師の意見を求めるべきだ。神経科医師はエデインバラのCJD調査ユニットの臨床医からアドバイスが受けられることを承知している。
29。肉屋や屠場で働く人になにか特別の注意は?
もっともハイリスクとみなされる屠場従業員で新型のCJD はない。しかし、本委員会は勿論、公衆衛生局にこのような職場での安全対策を再考するよう勧告した。
30。農夫でのCJD危険性は?
全体として農夫でCJD例が増加していることは事実である。しかし、まだ数は非常に少なく、また同じような増加傾向はBSEの存在しないほかの国でも見られている。今回の10例の新型CJDはいずれも農夫ではない。
31。農夫でのこの増加傾向は殺虫剤のように、BSEとは関係ないほかのことと関連はないのか?
なにかが農夫に影響を与えていることは明らかだが、なにかは分からない。殺虫剤も疑われているが、これもまた、証拠はない。
32。BSEの原因はいったい何か?
病原体の本体についての議論はまだ続いている。プリオン説が有力であり、これは核酸を欠いた小型の糖
蛋白で、感受性の人の中枢神経系の中で、特殊の蛋白を産生を引き起こす。ほかにある種のウイルスが原因であるという考えの人たちもいる。病原体の起こす病気は明らかだが、病原体を見ることは不可能だ。
33。BSE/CJD病原体の不活化方法は?
塩素剤、通常の調理温度、紫外線、弱い酸など普通の方法には抵抗性であり、不活化は非常に難しい。
5。脳の病理組織検査ではCJDと診断されるが、通常のCJDとは異なり、プリオン蛋白プラークの大きな蓄積がある。(しかし、脳の病理組織変化はBSE感染牛のものとは全く異なる)。
SEAC委員長パッテイソン教授は、今回の例は、ほかの誰よりも我々が非常に注意深く調べた結果、見つかってきた可能性もあると述べているとのこと。
また、ブランチフィールドの個人的見解として、もしも委員会の考えるような説明が正しいとしたら、10例をはるかに上回る例数がすでに見つかっているはずであると。
Kazuya Yamanouchi (山内一也)
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