人獣共通感染症 連続講座 第59回
リンパ球性脈絡髄膜炎(Lymphocytic choriomeningitis: LCM)
の再認識
霊長類フォーラム:人獣共通感染症(第59回)2/14/98
LCMウイルスはアレナウイルス科に属するRNAウイルスです。アレナウイルスは旧世界アレナウイルスと新世界アレナウイルスに分けられ、前者にはLCMウイルスとラッサウイルスが、後者には南米で急性の出血熱を起こすウイルス(ボリビア出血熱の原因のマチュポウイルス、アルゼンチン出血熱の原因のフニンウイルスなど)が含まれます。すなわち、LCMウイルス以外はすべて高度に危険な出血熱ウイルスです。ところでアレナの名称はアリーナから来ています。ローマ時代の円形球技場アリーナは砂をまいて作られていましたが、アレナウイルス科のウイルスは電子顕微鏡でみると、ウイルス粒子の中に砂粒状のものがみられます。この特徴から付けられた名称です。
LCMウイルスは免疫学の研究、またウイルスの発病機構の研究では古くから用いられてきました。1昨年のノーベル医学・生理学賞は、このLCMウイルスを用いた研究の成果に対して授与されたものです。このように専門家の間では研究の材料として有名なものでしたが、人獣共通感染症の面ではあまり関心が払われてきませんでした。
昨年秋にアイルランドのダブリンでのマイナス鎖RNAウイルスのシンポジウム(本講座第55回参照)で、CDCのC.J.ピータースと話した際に彼から日本でのLCMウイルスの汚染の現状を質問されました。ご承知のように彼はエボラレストン株の時は米陸軍感染症研究所で中心的役割を果たし、CDCに移ってからはザイールのエボラ出血熱を初めとするエマージングウイルス対策のリーダーです。現在、彼らのグループは米国でのLCMウイルス感染、とくに妊婦での感染に大きな関心を寄せているとのことで、いくつかの参考資料を送ってもらいました。それらも含めて、人獣共通感染症としてのLCMウイルスについて解説してみようと思います。
LCMウイルスの自然宿主はノネズミや家ネズミです。ネズミでは病気を起こすことはほとんどなく、ウイルスは一生持続感染し、尿に排泄されます。これがヒトへの感染源となるわけです。
ヒトでは成人の感染の場合、約3分の1は無症状といわれています。典型的な症状は、発熱、不快感、筋肉痛、呼吸困難、吐き気などインフルエンザ様の症状です。重症の場合には無菌性髄膜炎から、時には致死的脳炎を引き起こすこともあります。1941年から58年にかけて米国の首都ワシントン周辺の病院で調査した結果では、ウイルス性の中枢神経症状で入院した患者の8ー11%がLCMウイルス感染によるものであったと報告されています。ラッサ熱では抗ウイルス剤のリバビリンが効果があることが知られていますが、LCMウイルス感染の場合には臨床試験はまだ行われていないようです。
LCMウイルスはハムスターでもマウス同様に持続感染を起こします。ヒトがハムスターから感染を受けて髄膜炎になった例も欧米で報告されています。1970年代に私が米国のある研究所に行っていた際に原因不明の病人が何人も出て、調査した結果、その人たちが通る場所に、実験用のハムスターが飼育されていて、それから感染が起きたことが判明したことがあります。また、ハムスターは癌の研究にもよく利用されており、移植腫瘍を研究者の間で分与することがしばしば行われます。その分与された腫瘍がLCMウイルスに汚染していて、それから研究者に感染が起きたことも有名です。
最近、関心が高まっているのは最初に述べたように、妊娠中の母親から胎児への感染です。かってドイツ、フランス、リトアニアなどでLCMウイルス感染による先天性水頭症と脈絡網膜炎の起きたことがあります。1993年には米国で2卵生双生児のひとりが頭の固定が不完全で座ることができず筋肉弛緩や四肢の過屈曲が認められ、もうひとりも座ることができず、また発達不全や網膜色素上皮の萎縮などの症状が認められ、ふたりの血清中に高レベルのLCMウイルス抗体が検出されたことから先天性L CMウイルス感染と確認されました。
ネズミでのLCMウイルスの分布については米国での調査結果があります。1984ー89年にかけてメリーランド州ボルチモア市内で捕獲された480匹のイエネズミでは3.9ー13.4%がLCMウイルス抗体を保有していました。また同じ地域で1180例のヒト血清について調べた結果では、54名(4.7%)にLCMウイルス抗体が見いだされました。不顕性感染が起きていたわけです。この地域で1930年代にも調査が行われたことがあり、その際にも3%のネズミがLCM抗体陽性でした。すなわち、半世紀にわたってネズミでのウイルス保有状態が変わっていないことを示唆しているとみなされます。
日本では酪農学園大学の森田千春先生が1990年代に大阪港で捕獲したノネズミの52匹中25匹で抗体を検出され、また35匹中14匹からウイルスを分離されています。また横浜港のノネズミでも抗体を検出されています。さらに1996年には中国のノネズミでの抗体調査も行われて330匹のうち10匹で抗体を検出されています。一方、長崎大学の佐藤浩先生は動物実験施設の実験用マウスでのLCMウイルス抗体の存在を報告されています。
新世界サルであるマーモセットでLCMウイルス感染の起きたこともあります。これは米国の動物園での1980ー90年にかけての出来事です。12回にわたってマーモセットの間で肝炎の流行が起こり、マーモセット肝炎と呼ばれていました。このマーモセットの肝臓細胞からアレナウイルスに属するとみなされるウイルスが分離され、4年後に遺伝子解析の結果からLCMウイルスであることが明らかにされました。この原因としては餌として与えていた哺乳マウス、もしくは動物園周辺の野ネズミからの感染の2つの可能性が推測されています。
LCMウイルスについては、一般の人ではほとんど知られていません。上に述べたような危険性について医師をはじめ、一般の人の啓蒙が必要と思います。感染源となるのはノネズミ、実験動物、ペットハムスターなどです。実験動物やペットについてはLCMウイルス抗体を検査して感染のないことを確かめることが必要でしょう。CDCでは小頭症、水頭症、脈絡網膜炎の新生児の場合、医師が母親にネズミやハムスターとの接触の有無を確かめるよう勧めています。
人獣共通感染症(第59回)リンパ球性脈絡髄膜炎(LCM)・一部訂正 3/5/98
LCMウイルスの自然宿主についてノネズミ、イエネズミの用語を用いましたが、このウイルスの専門家である酪農学園大学の森田千春先生から下記の指摘をいただきました。
英語の論文の多くでhouse mouseとなっているのをイエネズミと訳したのですが、改めて分類名を調べるとhouse mouseはMus musculus(ハツカネズミ)の一般名でした。したがって指摘されたように厳密には野生ハツカネズミと呼ぶのが正しいと思い ます。
森田先生からの指摘の抜粋
「ノネズミ、家ネズミの言葉ですが日本ではノネズミはアカネズミ、ハタネズミ、ヤチネズミ属のネズミに用い、家ネズミはドブネズミ、クマネズミ、ハツカネズミに用いられているものと思います。この為、先生の記載では病原巣が非常に広く誤解されると存じます。小生の取り扱っておりましたネズミも総て野生ハツカネズミです。宜しく御配慮お願いいたします。」
Kazuya Yamanouchi (山内一也)
連続講座:人獣共通感染症へ