BSEの起源はクロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)
BSEの起源については、これまでにいくつかの仮説が提唱されていますが、いまだに謎のままです。そのような中で、英国ケント大学のアラン・コルチェスター(Alan C.F. Colchester)と彼の娘、エジンバラ大学獣医学部のナンシー・コルチェスター博士(Nancy T.H.Colchester)が、最近のランセット誌にBSEはCJD由来という新しい仮説を提唱しました。(The origin of bovine spongiform encephalopathy: the human prion disease hypothesis. Lancet 366, 856-861, September 3, 2005. )
その概要をご紹介します。
1960年代から1970年代にかけて、英国では数十万トンもの哺乳動物由来の全骨、砕いた骨、死体のさまざまな部分を肥料や動物の餌の原料として輸入していました。その50%近くはバングラデシュ、インド、パキスタンからです。インドとパキスタンでは農民が大きな骨や死体を川から集めて売っていましたが、その中には動物だけではなく、かなりの量の人の死体も入っていました。ヒンズー教徒が死体をガンジス川などに捨てる習慣があるためです。著者はすくなくとも1950年代後半から、動物の骨などに人の死体が混ざったものが輸出され、それは現在も続いていると推定しています。実際に、カルカッタのディーラーが人の骨をインド、パキスタン、米国に輸出したことで告訴されたという報道もありました。
1960年代には、フランスとベルギーの港でインド亜大陸からの動物由来副産物の中に人の成分が見つかり、これらの地域から輸入する動物を原料として用いていた英国の飼料会社に警告が送られたことがあります。
これらの背景をもとに、著者はなぜBSEが英国で発生し、ほかの国では起きなかったかを次のように考察しています。
- 英国は上記の時期にインドとパキスタンからの動物由来副産物の最大輸入国であったこと。
- 英国は牛に高蛋白飼料を与えて牛乳の生産量を増加させるための研究と実用化の面で世界のリーダーであったこと。
- 英国は肉骨粉を1−2週齢の子牛に与えていたこと。
インド亜大陸でのCJDの発生状況はほとんど分かっていません。最初のCJD例は1965年に報告され、1968年から1997年の間に、インドでCJDとして登録されたのは69例でした。しかし、発展途上国では診断体制や報告体制が整備されておらず、解剖されることも稀です。そのため、この数は実際よりもかなり少ないのが普通で、著者は1960年代から1970年代にかけて毎年150例のCJD患者が発生していたと推定しています。インド国民の80%はヒンズー教徒なので、毎年120人のヒンズー教徒がCJDで死亡していたことになります。そして、その死体のかなりの数が川、とくにガンジス川に捨てられたと推定しているのです。
CJDの牛への感染実験は行われたことがないため、CJDが牛に対してどれくらいの感染力があるかは分かりません。著者はCJDのサルへの感染実験の成績から、もっとも少なく見積もっても一人の死体には牛に対して約300 ID50の感染価があると推定しています。
これらの状況証拠から著者が提唱した仮説は、以下のとおりです。
- BSEは人のCJDに由来する。
- 牛は輸入した哺乳動物原料に混じっていた人の死体から作られた餌を食べて感染した。
- 原料はインド亜大陸で、そこから問題となる時期に大量輸入された。
これまでにBSEの起源としては、スクレイピー説、有機リン説、土壌細菌アシネトバクター菌による自己免疫説、アフリカから輸入した偶蹄類説があります。この中でスクレイピー由来がもっとも支持されてきた仮説です。英国政府のBSE諮問委員会は、このスクレイピー説を否定しましたが(本講座110回)、BSE起源に関する調査委員会は、有機リン説、アシネトバクター説、アフリカの偶蹄類説は考えにくく、スクレイピー説がもっとも可能性が高いと報告しています(本講座121回、131回)。しかし、スクレイピーの牛への感染実験ではBSEのような病気は見いだされていません(本講座136回)。
著者は上記のいくつかの仮説と比較して、人由来説がもっとも可能性が高いとみなしており、その検証のために牛へのCJD接種実験を至急行うべきであると述べています。