上記の本を出版しましたので(NHK出版)、目次、まえがき、あとがきを紹介させていただきます。
「目次」
1章 ウイルス・30億年の歴史
2章 ウイルスにより起こるさまざまな病気
3章 プリオン病をめぐるサイエンス・ドラマ
4章 ウイルスの正体を求めて
5章 ウイルスの生き残り戦略
6章 ウイルス感染症との戦い
7章 新たなるウイルスの出現・マールブルグウイルスの衝撃
8章 感染症の根絶は幻想
9章 地球村で広がるエマージングウイルス
10章 ウイルス感染症にどう対応するか
11章 ウイルスを利用した病気の治療
12章 ウイルスとともに生きる
「はじめに」
私がウイルス研究の世界に入ったのは今から約50年前です。以来、さまざまなウイルスと出会ってきました。北里研究所(北研)での天然痘ワクチンのウイルス、ニワトリの天然痘に相当する鶏痘ウイルスの研究に始まり、カリフォルニア大学ではブタのポリオウイルスが研究テーマになりました。国立予防衛生研究所(予研、現・国立感染症研究所)に移ってからは麻疹ウイルスと、その近縁のウイルスである牛疫ウイルスの研究を始め、それが東京大学医科学研究所(医科研)で麻疹ウイルスが原因で起こるスローウイルス感染である、SSPE(亜急性硬化性全脳炎)の発病メカニズムの研究につながりました。一方では遺伝子工学を応用した組み換え牛疫ワクチンの開発となりました。
これらの研究では、危険なウイルスとの出会いもありました。北研時代には、予研での天然痘ウイルスの実験を手伝い、予研時代には、米国疾病制圧予防センター(CDC)のバイオセーフティレベル4実験室(P4実験室)でマールブルグウイルスの実験も見学させてもらいました。医科研時代には、家畜伝染病の中でもっとも危険な牛疫ウイルスのウシへの感染実験を、インド国立獣医学研究所のヒマラヤ山麓の隔離施設と英国動物衛生研究所でおこない、100パーセントの致死率を示すウイルスの毒性を目の当たりに見ることができました。そして、これらのウイルスとの出会いは、世界中の多くの研究者との出会いにつながりました。ウイルスはまさに、私の半世紀にわたる研究人生のパートナーになりました。
ところで、20世紀の終わりごろから、危険なウイルス感染症の出現が社会に大きな衝撃を与えています。その代表的なものには、1999年、米国ニューヨークで突然、発生した西ナイル熱、21世紀最初に発生したSARS(重症急性呼吸器症候群)、そして現在問題になっている鳥インフルエンザなどがあります。
これらのウイルスの問題は、一般の人々のウイルス感染への関心を高めると同時に、恐怖のウイルス、殺人ウイルスというように、ウイルスの恐ろしい面を印象づけてきました。
しかし、ウイルスは30億年前から地球上に存在してきた生命体です。一方、我々人類(ホモ・サピエンス)が地球上に現れたのは、わずか20万年前です。人類は出現して以来ウイルスとともに生きてきたのです。それに対して、ウイルスの存在を初めて確認してウイルス学が始まったのは、ほんの百年前にすぎません。いまだ、ウイルスには我々が知らない多くの側面があります。
本書では、これまでのように人間中心の視点だけではなく、ウイルス中心の視点に立って、地球上にもっとも古くから存在している生命体のウイルスとはどのようなものか、考えてみたいと思います。
「おわりに」
私は1992年に東大医科学研究所を定年退官して、研究現場から離れました。そして1995年、研究仲間から勧められてインターネットによる人獣共通感染症講座(本講座)を始めました。エボラ出血熱など、野生動物からの危険なウイルス感染症が話題になりはじめていた時期でした。翌年には世界的BSEパニックが起きて、人獣共通感染症への関心は高まっていきました。
この講座を始めてから、ウイルスには素人の人たちと、ウイルスについて意見を交換する機会が生まれてきました。その対話を通じて、私がそれまで眺めてきたウイルスの世界は、じつは、病気の原因としてのウイルスという、限られた側面だけだったということに気がつきました。
そこで尋ねられた質問に、細菌に善玉と悪玉があるように、善玉のウイルスはいないのか、というものがあります。それまで、病気の原因としてのウイルスの研究に取り組んでいた私には、善玉ウイルスの存在は考えてもみなかったことです。これがきっかけで、ウイルスはどのような存在かということを考え始めたのです。
西ナイル熱、SARS、鳥インフルエンザのような、キラーウイルスと呼ばれる悪玉ウイルスの側面は、人間がつくりだした現代社会でのみ起きているものです。ウイルスの自然宿主では、ウイルスは共存をはかっています。
そこで本書で、この数年間に漠然と理解しはじめてきたウイルスの存在意義を整理してみようと思ったのです。ウイルスの潜在能力という視点にたってみると、まだ仮説の域を出ていない面が多くありますが、ウイルスには生物の進化の原動力になってきた可能性、妊娠中の胎児を守っている可能性、さらには、ウイルスの生態が地球環境に影響を及ぼしている可能性などが浮かんできました。
本書が、地球上にもっとも古くから存在する生命体のウイルスと、もっとも新参の哺乳類である人類との関係を見つめ直すきっかけになれば幸いです。