動物の病気
牛海綿状脳症(BSE)
■連続講座(山内一也東京大学名誉教授)
■現状と問題点
■BSE公開講演会(H14.10.24)
「BSEと食の安全性」
Gerald A.H.Well博士
「BSEの感染発病機序」
小澤義博博士
■Q&A(リンク)
わが国への侵入/蔓延が危惧される動物由来感染症
1. 狂犬病
2. ・ニパウイルス感染症
・ニパ(Nipah)ウイルス
感染症について(第一報)
小澤義博先生
3. 西ナイル熱
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7. Bウイルス感染症
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J. Vet. Med. Sci. 65(1): J5-J7, 2003
本稿は,平成14年10月24日に東京大学農学部で開かれた公開シンポジウムの内容である.
BSEの感染発病機序(病理発生)
Gerald A. H. Wells
Consultant Veterinary Pathologist, Veterinary Laboratories Agency: New Haw, Addlestone Surrey KT15 3NB
- 要 旨
牛海綿状脳症(Bovine Spongiform Encephalopathy:BSE)の発生より以前には,動物の伝達性海綿状脳症(Transmissible Spongiform Encephalopathy:TSE)の中でヒツジとヤギのスクレイピーが最もよく知られていた.およそ250年の間,スクレイピーはただ単純に得体の知れない動物の病気で,人間に危害を及ぼすことはなく,さして重要性の高いものではないと考えられてきた.一方,BSEは1986年に家畜のウシの新しい神経異常疾患として認められて以来,それが肉骨粉由来であることや同時に他の動物種にも感染が認められることから,その重要性が次第に増大した.最初に他のウシ科の動物種が,またその後にある種のネコ科の動物種が侵され,最後にBSEの人畜共通感染症的性状が明らかとなった.この論文では,DEFRAのVeterinary Laboratories Agencyで実施されたBSEの病理発生とそれに関連する伝達実験に関する研究の概要を紹介する.
スクレイピーの病理発生に関しては,主として実験室でげっ歯類動物を用いた実験により研究されてきた.スクレイピーの病理発生に関する情報の大部分は,また一方で,ヒツジで自然発症したスクレイピーについての研究から得られたものである.大半のスクレイピーの実験モデルは,末梢の非神経性経路から感染した後,病原因子は最初にリンパ網内系(lymphoreticular system:LRS)組織で検出される.腹腔内に病原因子を接種した場合,あるいはそれ以外の局所的な経路により病原因子が体内へと導入された場合には,感染部位からの病原因子の排出を担当する局所リンパ組織が最初に関与する.その後,LRSにおいて病原因子の著しい増幅が起こり,リンパ行性・血行性に拡散し,結果としてLRSを通じた病原因子の広範な播種と,その他の組織への病原因子の伝播が生じる.これは中枢神経系(Central Nervous System:CNS)での増幅に先行して起こるが,大半のモデルでは病原因子のCNSへの到達はこの様式によるものではないと考えられている.この点については,現在ではスクレイピーの実験モデルからしっかりした証拠が得られている.すなわち,その実験では,非神経系の暴露経路を採用しており,感染性(infectivity)のCNSへの拡散は末梢神経系(Peripheral Nervous System:PNS)経路により起こることが示された.経口的な暴露を採用したモデルの中には,初期に局所での増殖が腸管関連リンパ組織(Gut Associated Lymphoid Tissue:GALT)で起こり,CNSへの拡散には自律神経性のPNS経路が重要であることを示しているものがある.しかし,このような病原因子の拡散パターンが必ずしも自然例におけるTSE病原因子の全ての暴露の形式に適用出来ると結論することは出来ない.
TSEの体内での拡散に利用される様々な経路の相対的な重要性は,宿主や病原因子に依存した多数の要因(特にPrPの遺伝型と病原因子の“株”)によって決定される.したがって,実験モデルで得られた成績を動物種の壁を越えて自然発生例にそのまま適用するのは適切ではないと考えられる.一方で,飼料に由来する流行としてBSEが発生したことから,TSEに感染した反芻動物種での経口感染経路の重要性が次第に広く認識されるようになり,その結果として自然宿主である動物種に研究の焦点が絞られ,病理発生について検索されるようになった.スクレイピーの自然発生例における組織の感染性について調べた研究では,感染性の力価に応じた組織分類が行なわれ,単一品種群におけるスクレイピー感染についての研究からは,少なくともある種のスクレイピー自然発生例とある種の実験モデルとが良く対応することが示唆された.
BSEの発見後には,BSEの病理発生がスクレイピーのそれと類似しているかどうかが問題となった.最も重要とされたのは,感染性の分布と力価が両者間で同様であるか否かということであった.BSEの自然発生例における組織の感染性を通常のマウスを用いたバイオアッセイで調べた結果では,CNSにのみ感染性が認められた.
病原因子を非経口的に多数回接種することによるBSEのウシへの伝達性実験(Dawson et al. 1990, 1994)では,異なる2品種のウシの間で潜伏期間が非常によく揃っていることが示された.この観察結果と疫学的情報から,ウシのPrP遺伝子には重要な多形性は存在しないこと,および,BSE感染ウシにおける神経病理学的変化の定常的パターンが示された(Simmons et al, 1996).TSEの病変の発現を調節する主要な因子としては,例えば宿主のPrP遺伝子型,病原因子の株,および暴露経路が挙げられるが,BSEに感染したウシではこれらの因子は一定である.少なくとも英国におけるBSE感染は,スクレイピー様の病原因子の中でウシに適応した単一で安定性の株が原因で発生したとする考えは,マウスにBSEを初代伝達した時の病態の表現型が単一であることから裏付けられる.これはヒツジでのスクレイピーの自然発生例とは全く正反対である.すなわち,ヒツジで自然発生したスクレイピーでは病態の表現型が非常に多様性に富んでいるが,これは,品種,病原因子の株,および宿主のPrP遺伝子型の違いに応じて生じるものと考えられている.BSEでは上述したように病態の表現型が単一であるため,ウシでの経口暴露実験による病態の病理発生を研究する上で必要とされる再現性が保証されることになった.この再現性があるということは,潜伏期間における体組織でのBSEの感染性の拡散に関する情報を得るためにも是非とも必要なことである.体組織での感染性に関する情報は,BSEに対する制御策を講じるために必要であるが,BSE発生時には,BSEの体組織での感染性に関する情報が不明であるために,ヒツジでのスクレイピーの自然発生例における体組織の感染性に関する従来の研究成果を参照するより他なかった.
BSEの病理発生に関する研究では,BSEに感染した脳の乳剤100gを,4ヶ月齢のウシに単回,経口暴露した後で,体組織における感染性の局在・分布および経時的変化と病理学的変化を検索した(Wells et al. 1994, 1996, 1998, 1999).すなわち,実験群と対照群のウシを主として4ヶ月の間隔で同時に安楽殺し,多種類の組織を回収して通常のマウスを用いた標準的な感染性アッセイを実施した.ウシで一番最初に臨床症状が現れたのは暴露の35ヶ月後であった.非神経性組織における感染性は回腸遠位部に限局していた(暴露後の6−18ヶ月および36−40ヶ月).CNSでは,PrPSCの存在が最初に認められたのは暴露の32ヶ月後であり,これは感染性が最初に検出された時期と一致していた.一方,脳で典型的な病理組織学的変化が認められたのはこれより後で,暴露の36,38および40ヶ月後であった.感染性は末梢神経系の知覚神経節でも検出された(暴露後の32−40ヶ月).興味深いことには,暴露の38ヶ月後に安楽殺したウシの胸骨骨髄においても感染性の痕跡が認められた.
CNSでPrPSCを検出するための急速診断法(Bio-Rad BSE test)がBSEの死後診断としての評価を得ている.これには病理発生研究において病態の経過の様々な時点で採取された組織サンプルが用いられている(Grassi et al. 2001).PrPSCは暴露の32ヶ月後かそれ以降に安楽殺されたウシの大半のCNS組織で検出され,テストは免疫組織化学に匹敵する感受性を有することが示された.
病理発生研究で採取されたウシの回腸遠位部を,免疫組織化学的手法を用いてPrPSCについて検索した(Terry et al. in press).PrPSCは,マウスを用いたバイオアッセイの結果と一致し,病態の経過の大部分においてパイエル板(Peyer's patch:PP)の濾胞内のごく一部に限局したマクロファージ内で検出された.病態経過のさらに後期には,免疫染色で陽性を示す濾胞の割合は増加したが,年齢に関連して起こる濾胞の退縮と一致して濾胞の総数は減少していた.BSEの自然発生例の回腸遠位部のリンパ組織では免疫染色陽性像は検出されず,暴露の6ヶ月後に安楽殺した実験感染ウシの腸間膜リンパ節やその他の腸の領域でも検出されなかった.
自然発生したスクレイピーを短期間インキュベーションするために飼育されたヒツジでは,van Keulenら(2000)が5ヶ月齢から腸の神経系(enteric nervous system:ENS)とリンパ組織でPrPSCを検出した.10ヶ月齢までには,体腔−腸間膜の交感神経節および脳幹と脊髄でPrPSCが検出された.この実験結果から,構造の異なる体組織部位に感染が連続的に示され,ENSからCNSへの病原因子の拡散が自律神経系(交感性と副交感性)経路を通じて起こったことが示唆された.
BSEの病理発生に関する研究とその後の実験的研究で得られた結果から,BSEでは,スクレイピーの自然例と比較して,LRSの関与が少ないことが示唆された.また,感染の検出,PrPSCの存在,およびCNSの病理学的変化の発見という3者の間に密接な時間的関連があることが示唆された.これら3者はいずれも潜伏期間の後期でのみ初めて明らかとなった(約90%).しかし,この観察結果の解釈には注意が必要である.と言うのも,今回の研究では,潜伏期間に全ての動物を安楽殺して検索したわけではなく,ごく一部の例について検索したに過ぎないからである.
BSE感染ウシの組織で病原因子が明らかな限局性の分布を示すことは,BSEの病原因子にだけ限られた特性ではないようである.BSEの病原因子をヒツジに実験的に伝達した結果では,非経口的な接種あるいは経口暴露の後にはスクレイピーと類似した組織分布を呈することが示されている.
ウシでのBSEの流行中に英国の動物園で多数の有蹄動物種に海綿状脳症が発生し,その原因として汚染された家畜飼料を通じての病原因子の伝達が関与しているとされてきた.脳症の発生がみられた動物種のひとつはクーズー(Tragelaphus strepsiceros)である.クーズーとはウシ亜科に属する動物である.4頭の感染クーズーから採取した組織の感染性について,C57B1マウスを用いたバイオアッセイを行なった結果,病原因子の組織分布はヒツジでのBSEの実験感染で観察されたパターンとよく似ており,内臓のリンパ節と回腸遠位部であったが,脾臓では感染の痕跡が認められたのみであった(A.A. Cunningham,J.K. Kirkwood,M. Dawson,G.A.H. Wells,未発表データ).さらに驚くことには,その中の1頭では,肺,下顎の唾液腺,結膜,および皮膚で感染の痕跡が検出された.ただし,これらの組織の検索はこの1頭でのみ実施されていた.こうした結果の意義についてはさらなる評価が必要と考えられるが,ひとつにはウシ種の動物における水平感染の可能性を示しているものと考えられる.
一つの動物種から他の動物種へのTSEの伝達は,病原因子を効果的に暴露した場合に可能である.この効果は3つの因子により定義される.すなわち,病原因子の用量,暴露の経路,そして動物種の壁の程度である.動物種の壁を越えての初代伝達ではTSEの病原因子の感染効率が低下することが良く知られている.このため,リスクアセスメントの目的で,ウシとマウスを用いてBSEの感染性バイオアッセイの相対的効率をend point titration法によって調べることが重要と考えられている.マウスで動物種の壁を越えてBSEの感染力価を測定した結果,組織での感染力価の最小評価値は,500倍と算出された.マウスのバイオアッセイ系の感受性はこのように相対的に非常に低く,BSEでは広範囲にわたるLRSの感染性は存在しないとするマウスアッセイ系を用いた実験的結果が,BSEの臨床例から採取してプールしたリンパ節や脾臓をウシに脳内接種したアッセイ系での結果と矛盾している理由がこれにより説明可能である.このウシの脳内接種実験での生残例のデータは,もし感染性があるとしても,これらの組織における感染濃度が少なくとも1頭のウシあたりID50/gよりも少ないことを示唆している.こうしたことから,病理発生に関する研究から選抜した組織を,ウシの脳内接種によりアッセイする追加研究が始められ,現在でも続けられている.その結果,マウスを用いたバイオアッセイで陽性であることが判明していた組織の感染性がこれまでに確認されてきている.また,ごく最近であるが,実験的な経口暴露の10ヶ月後に安楽殺されたウシの口蓋扁桃で,感染の痕跡を示す予備データが示されている.
現在では,ウシにおけるBSEの病理発生に関する実験的な研究から,急速診断法を評価するための組織が供給されている.
伝達実験では,ウシのBSEの発生率と潜伏期間に関して,経口的な接種量の効果を調べてきた.このような実験は,本質的には,ウシでBSEの感染が成立する限界希釈値を得ることを目的としており,これは疫学的なモデル研究の構成要素でもある.暫定的な結果では,マウス103.5匹分のID50/gが含まれる脳組織0.38gがウシの経口的なID50であり,これにはこれは95%という広い信頼域(confidence interval)を有している.こうした研究は,1g,100mg,10mg,1mgの接種用量での発生率を検索する方向で続行されている.BSEの病原因子に経口的に暴露されたウシでの接種量に対する反応をより正確に評価することは,効果的な暴露が発生する地理的なリスク評価に貢献することになるだろう.
今日までに得られた結果から結論をまとめると,ウシにおけるBSEの病理発生は多くの点において経口暴露された後のスクレイピーやその他の動物のTSEのそれと類似しているように見えるが,BSEにおいて病態の表現型が一定であることとLRSの関与が極めて少ないことは,比較の上でかなり重要な特徴である.おそらくは神経侵襲の成立のためには重要ではないが,スクレイピーではLRSが広範囲にわたって巻き込まれることが病原因子の播種に重要な役割を果たしており,このことは水平伝達やキャリアー状態の確立に密接に関連している.ウシのBSEでは感染因子が体内の広範な組織に分布していることはないという事実は,公衆衛生上のBSEの防御や制御に有利であると考えられる.さらに,組織の感染に関するバイオアッセイの結果が,通常のマウスを用いたものとウシを用いたものの間でこれまでのところ広範囲にわたり一致していることは,これまでのバイオアッセイで得られた「陰性」という結果が信頼できることを示唆している.
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